アンティークジュエリーの魅力

アンティーク真珠について

「アンティーク=天然真珠」だと思っていませんか? アンティークジュエリーに詳しい方でしたら「昔は養殖の技術がなかったのだから、アンティークジュエリーで使われている真珠は全て天然真珠ですよ」といったことを聞かれたことがあるでしょう。
これはアンティークジュエリーの業界のセール文句になっているようですが必ずしも正しくはありません。
アンティークジュエリーに使われている真珠の多くが天然真珠です。
しかし全てが天然真珠ではありません。

上記の「アンティーク真珠=全て天然説」はヨーロッパで養殖真珠が本格的に市場に出始めるのは、一般的に1920年代頃からと言われていますからそれに基づいた論拠ということになります。
しかし養殖真珠はそれ以前にヨーロッパに存在し、一説には1880年頃から存在していたと言われています。
実際に1900年頃のヨーロッパのアンティークジュエリーから一部に使われています。
例えば下記をご覧ください。

こちらはフランスの有名なジュエリー専門のオークション会社のカタログからの抜粋です。
クリスティーズを初め世界の著名なオークション会社の競売では真珠に関して天然か養殖か明記します。
この「真珠とダイヤモンドの指輪」は「1900年頃に製作されたと」推定されていますが、ジュエリーの説明文のところに「Perles de culture(養殖真珠)」と言う記載があります。

<img src="../antique_episode/images/perledeculture.jpg" width="480" height="400" alt="">

同じカタログから別の事例をご紹介いたしましょう。
こちらは花綱模様の美しい典型的なベルエポック時代のダイヤモンドと真珠のペンダントです。
こちらは1910年頃の推定と先ほどの作品より僅かに後年になりますが、こちらは「une perle en pampille(天然真珠の房飾り)」と記載があります。
天然真珠になります。

<img src="../antique_episode/images/perlenature.jpg" width="480" height="400" alt="">

天然真珠の評価がもっとも高かったのは、20世紀の初頭です。
1900-1920年頃は非常に美しい天然真珠のジュエリーが作られた時代であるのと同時に、初期の頃の養殖真珠がジュエリーに使われはじめた時代でもあります。
この時代に天然真珠として最大に近い大きさの最高級の天然真珠を使ったロングネックレスは、現在の貨幣価値に換算して約10億円で取引されたと言う記録が残っています。

養殖真珠が多く市場に出回るようになったのは、1920年頃からです。
1940年代にはもう養殖真珠が凌駕していき戦後は言うに及びませんので、美しい天然真珠が用いられたアンティークジュエリーを探すのであればやはり1930年代頃までというべきでしょう。

「養殖真珠」といっても本当の初期の頃(20世紀初頭)の養殖真珠は真珠層が厚くとても出来がいいです。
例えば下記は、1920年前後に英国で製作された養殖真珠のネックレス。
真珠の粒は0.8センチ程です。

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/culturedpearl.jpg" alt="1920年養殖真珠">

現代の養殖真珠とは雲泥のレベルの差があり、それはそれで近年では高額に取引をされています。
天然真珠への評価が高まる昨今では、初期の頃の養殖真珠はヨーロッパのオークション等で非常に高価な値段がついてきています。
養殖真珠へのイメージが大きく変わるのではないでしょうか?

良い天然真珠の条件とは 真珠は数千年前から、ありとあらゆる権力者に愛されてきた宝石です。
東西を問わず真珠は富と権力の象徴であり、王族、貴族、宗教者、マハラジャ等々に愛されてきました。
貝の体内から美しい真珠が生まれ出る神秘は世界各地でさまざまな伝承を生みだしました。
そしてそしてその想いの深さを証明するように、人々は真珠を多くのロマンティックな言葉で形容詞しました。
代表的なものに「月の雫(しずく)」という表現があります。
古代ローマの博物誌には「月夜に、海面に浮かび上がった貝がひらき天から舞い降りた霧を吸い込んで育てたのが真珠」という幻想的な解説が残されているそうです。
その他にも 天然では産出が稀な真珠は、「天の露」、「人魚の涙」、「小さな月」などと比ゆされます。

いわゆるダイヤモンドの4Cにあたる、真珠の評価基準は「巻き」「照り(光沢)」「形」「大きさ」「色」「キズ」の6つです。
このうち特に分かりにくいのは「巻き」と「照り」でしょうか。
「巻き」とは、真珠の芯となる核を取り巻く真珠層の巻きつきのことです。
薄巻きのものには真珠本来の美しさがなく、厚巻きのものほど価値があるとされています。
照り〈光沢)」の良い真珠ほど珍重されてきました。

小粒な真珠の場合難しいですが、良い真珠には自分の顔が映るかどうかを見てみるのも良い方法です。
当店で販売しているガーランドの真珠のネックレスです。
房飾りになった真珠は光沢がありすぎて写真を撮るときに光を反射し、真珠の上部と下部でまるで色が異なるように映ってしまうほどでした。
(光の干渉です。)

<img src="http://antique-jewelry.jp/jewelry/l/j01012-1.jpg" border="0" alt="j01012-4.jpg" width="480" height="360">

また真珠のクオリティーをあらわす言葉に「イリデッセンス」があります。
イリデッセンスとは英語で「虹色」という意味になります。
「干渉色」とも呼ばれ、真珠の表面に見られる光の波が重なって起こる虹色のことを指します。
もちろん照りの良い上質な真珠にしか見られないものです。

これは光の干渉によって起こります。
私たちが見ることのできる光にはすべて波があり、波なので上がって山となり、次に下って谷となります。
光によってこの周期(波長)は異なりますが、山と山、あるいは谷と谷が一致するように2つの波が重なり合うと、山の高さが2倍あるいは、谷の深さが2倍の波になります。
こうして波が重なり合って、強め合ったり、弱め合ったりする現象を干渉と言い、イリデッセンスの原因となります。
名称はギリシャ神話の虹の女神 Iris に因んでいます。

良い天然真珠の条件について、1750年の文献に既に下記のような記載があります。

「those of the finest shape are perfectly round, which fits them for necklace, bracelets, jewels for the hair・・・」
最も良い形は、完全な真円でこうした形の真珠はネックレスやブレスレットに向く。# 「their complexion must be milk white, not of a dead and lifeless, but of a clear and lively hue, free from stains・・・」。
もっとも良い色はミルクホワイト、まず死んだような色をしていないこと、明るく活き活きとした色合いで、汚れがないこと。 

天然真珠と養殖真珠の違い 天然真珠と養殖真珠、その違いは何でしょう?
退色
「真珠は退色する」と思ってらっしゃる方も多いのではないでしょうか?
でもアンティークジュエリーで使われている真珠は100年以上経ても、美しいまま残っていますよね。
なぜでしょう?

真珠を留める時にはまず、真珠に穴を開けますよね。
養殖真珠はその穴から核と真珠層の間に大気中のいろいろな物質が浸透して、中から退色が発生するのです。

これに対して天然真珠は核が比べ物にならないほど小さく、そのため内部からの変色がほとんどないのです。
また天然真珠のほとんど全体が真珠層でできているのに対して、養殖真珠は外側の0.01-2ミリが真珠層でその内部(つまり大部分)が人工的な核できています。
当然この核の大きさの違いが、退色の差になります。

大きさ
現在ではマーケットに出ている真珠のほとんどが養殖真珠ですので、ある程度大粒の真珠に慣れている方が多いかもしれません。
しかし本来、天然真珠は大きい真珠が非常に稀な存在で、5ミリ以上ある真珠はかなり大粒になります。
5ミリ以上になりますと真珠そのものが宝石としての価値が増し、近年ますますその評価は上がってきています。
それほど価格や価値に大きな影響を及ぼす真珠の大きさですが、現在の養殖真珠では大粒でも小粒でもそれほど値段に開きはありませんね。
なぜでしょう?

養殖、特に現在の養殖真珠は真珠層が0.01mm以下ととても薄いのです。
なんと1ミリもないのですよ!
その内側はすべて人工の核。
それだけ本来の真珠層が薄いのですから、真珠が大きくても小さくてももちろんその価値はほとんど変わりません。
天然真珠ですと、1ミリ大きくなるのにものすごい年月を要し、それだけ数が少なくなります。
そのため昔の天然真珠の場合大きさにより、値段の差があるのです。

指輪やピアスのように1-2粒の真珠は比較的大きな天然真珠が使われていることが多いですが、下記のような真珠のネックレスでは大粒の真珠だけを集めたものは少なく、真珠の粒の大きさがグラデーションになっていることが多いです。
それもそのはず、大粒の天然真珠は非常に数が限られていたからです。

<img src="http://antique-jewelry.jp/jewelry/l/j01358-1.jpg" border="0" alt="アンティーク天然真珠ネックレス(モープッサン MAUBOUSSIN ケース入り)" width="480" height="360">


アンティークジュエリーで見る天然真珠は真円のものばかりではありませんね。
なぜでしょう?
天然真珠は大きくなればなるほど歪になりがちです。
そのほとんどが大きな丸い核でできている現在の「真珠」では、真円は当たり前のように作れますが、天然真珠は、中までそのほとんどが真珠層。
とてつもなく長い時間をかけて真珠層が作られるので、天然真珠は大きくなればなるほど歪になりがちです。
自然のものですからそれが当たり前なのです。

天然真珠を使ったアンティークジュエリーで特に指輪などをじっくり観察してみますと、一見真円に見えるけれどよく見ると真珠の形が扁平だったり少しいびつな形をしていることが多いです。
天然真珠では完璧な真円の真珠は、大きくなればなるほど少ないもの。
完全な真円の真珠と言うのが稀になっていきますのでそこでセッティングの妙で、正面からみたときに真円に見える見えるように、絶妙な位置に穴を開けて真珠をセットしているのです。
この絶妙な按配がさすが昔の職人ならではです。
大きめの天然真珠を使ったアンティークジュエリーに出会ったら、横から見てみるのも面白いです。

下記は当店扱いの真珠とダイヤモンドのクラスターリング。
正面から見たときはほぼ真円に見えますが、横から見ますとかなりいびつな形であることが分かります。

<img src="http://antique-jewelry.jp/jewelry/l/j01111-1.jpg" width="480" height="360" alt="ナチュラルパールクラスターリング(マーガレット、オールドマインカットダイヤモンド)">

簡単に言えば天然真珠は養殖真珠と比べ物にならないほど長い年月を経てできたものだということです。
養殖真珠が数ヶ月で膨らむのに対して、天然真珠は何十年何百年という年月を経て(それも偶然の産物で)生成されるものなのです。

養殖真珠はそもそも人為的に核をいれているので、外側だけが真珠層。
内側はどんどん人工的な力で大きく膨らんでいくので、生成のために要するのは3ヶ月ほどです。
それから2年間ほど乾燥して(最近ではこの過程をもっと縮小した養殖真珠も多いよう)、2-3年後には商品として並んでいるのです。

一方の天然真珠は、あこや貝などの真珠層に偶然入った小さな異物を核にして、長い年月を経て真珠層が形成されます。
これは何十年以上要するものなのです。

天然真珠と養殖真珠の見分け方 天然真珠の見分けは熟練したディーラーさんでも100%は難しいです。
非科学的な方法を含めてご紹介ましょう。

舐める!
ちょっとユニークな方法で「舐めると分かる」というのが都市伝説のように広まっています。
天然真珠は少しざらっとした感覚があるようです。
でも衛生的ではないですし、科学的ではなくその精度は謎です。
当店ではもちろん他の方法を用いていますが、昔からけっこう言われている方法ですのでご紹介いたしました。

真珠の穴とノットを見る
天然真珠は概して穴が小さめのことが多いです。
そのため真珠と真珠の間に結び目(ノット)が小さめであることが多いのです。
小さい珠ではノットが入っていないケースも多いです。
絶対的とは言えませんが、真珠の結び目から見える穴は見てみる価値があります。

色や艶、形
これは当たり前ですが、もちろん見るべきポイントです。
天然真珠の場合、複数の真珠が使われている時に微妙に形や色が異なる場合が多いです。
また真円ではない真珠は形だけでもう天然真珠と判断できるので判別が簡単な例です。

養殖の真珠ではあまり見られない色合いも存在します。
例えば下記のペンダントで中心の真珠は自然光の下ではほぼオフホワイトに見えますが、手で少し影を作ってあげますと実はピンクグレーの色調を持っていることが分かります。

<img src="http://antique-jewelry.jp/jewelry/l/j01139-1.jpg" width="480" height="360" alt="天然カラー真珠とダイヤモンドの19世紀ペンダント(1870年頃、銀、オリジナルチェーン)">

X線にかける

私が現地で慕っているディーラーさんは上記等の方法で判別できない真珠は、よくX線にかけています。
医療用のX線で十分で彼女は知り合いに頼んでかけてもらっていますが、日本では難しい方法です。
X線をかけることで核の状態を見ます。
もっともこれも養殖の初期の頃は核が小さく真珠層が厚いため、ある程度見慣れていないと難しいです。
またそれなりにお金のかかる方法ですので、ある程度大きな真珠にお薦めの方法です。

ヨーロッパの鑑別所で調べてもらう
これはかなりデリケートな話ですが、日本で天然真珠の鑑別書を出してもらうことはほぼ不可能です。
当店でも色々なとここに問い合わせしましたが、天然真珠と養殖真珠の違いを書面で証明してくれるところはまずありません。

日本では市場にでている真珠のほとんどが養殖真珠で、「真珠」といえば一般的に養殖真珠を指すことが多いからです。
しかしヨーロッパやアメリカなど天然真珠との関わりが長い国においては、「真珠」といえば現在でも天然真珠を指します。
そして養殖の場合は「養殖真珠」とはっきり明記・明言することを強く求めています。

日本では、養殖の真珠に関しても「本真珠」「ナチュラルカラー」といった呼び方をすることがあります。
これは比較的物事を厳密にしないで、商用に様ざまなネーミングを生み出す日本的な慣習なのですが、これは欧米から見れば「養殖真珠を天然真珠のように思わせようとした意図的な改ざん」とみなされ、度々非難されています。

ヨーロッパには天然真珠と養殖真珠の鑑別、鑑別書もしっかり出してくれるところが何箇所もあります。
これはコストだけでなくとても時間がかかる方法ですので、すべてアンティーク真珠では行いませんが、特に大きさや質がよく天然か養殖かによって価値に大きな違いが出そうなものに関しましては、懇意にしているディーラーさんの協力を得て当店はロンドンの鑑別所にお世話になっています。

シェルシュミディでも、真珠ジュエリーの買い付けは、宝石の中でも一番神経を使います。
天然真珠は実に買い付けの時に神経を使う宝石ですが、それでも良い天然真珠を手に入れたときの喜びは格別です。

天然真珠と世界の歴史 現代では宝石の王様はダイヤモンドのようになってしますが、それは長い宝飾史のなかでは比較的近代のことです。
(ダイヤモンドが流行し始めるのは15世紀のフランスからで、現代のような地位を確立するのはそのずっと後です。)
それ以前の宝石の王様はずっと真珠でした。

真珠について知られる歴史的な逸話に「クレオパトラの真珠」があります。
エジプトのクレオパトラは、ローマから来た将軍アントニウスと饗宴の豪華さを競った宴会を開きます。
当日クレオパトラが出した食事は確かに豪華なものではありましたが、これまでアントニウスが毎夜行ってきた宴会と特にかわったものでありませんでした。
アントニウスは、この賭けは自分の勝ちだと確信します。
しかしそのとき、クレオパトラは自らの耳から大きな真珠のイアリングの片方をはずし、最上の葡萄からできたビネガーに入れて(そのビネガーは強く激しく、真珠をたちまち溶かすことができる液でした)、それを飲み干し、賭けに勝つのです。
その真珠の価値は当時、百万オンス(1オンス=28.35グラム)にも相当するものでした。
言葉に詰まったアントニオの前で、クレオパトラはさらにもう片方の真珠のイヤリングをはずし、別の器に入れようとした。
しかしこの賭けの審判を引受けた将軍ルキウス・ブランクスは、女王の手を押しとどめ、この勝負はアントニウスの負けだと宣言します。

日本も真珠とのかかわりが強い国のひとつです。
あまり知られていませんが、奈良の正倉院には今から1200年以上前の奈良時代の真珠が4000個以上保存されています。
その大半は聖武天皇の冠に使用されていたもの。
「御冠残欠」として残されています。
また。正倉院(しょうそういん)にはその他にも真珠でかざった刀や、念珠などがおさめられています。
人の命を「玉の緒」と言い、「魂」「霊」を「たま」と発音していることからも、日本において真珠も不思議な霊力を持った玉なのです。

アメリカ大陸も天然真珠との結びつきが深く、アメリカの先住民は古くから真珠を装飾品としてきました。
1492年のコロンブスによるアメリカ大陸発見以降、カリフォルニア半島先端のラパスを中心として、大規模な天然真珠の採取がはじまります。
ここでとれたものは、ヨーロッパに運ばれヨーロッパの王族貴族のジュエリーになりました。
しかしあまりに採取しすぎたため、アメリか大陸での天然真珠は一時枯渇してしまいます。
しかし2度目の採取ブームがおきます。
1857年にニュージャージーで取れた天然の淡水真珠がティファニー社に高額で買い取られると、一攫千金を狙って多くの人が押し寄せ、これが「パールラッシュ」と呼ばれています。

下記は1880年頃に、ロンドンのジュエラーによって西オーストラリアの沿岸に派遣された真珠のスクーナー船で、作業員が貝をチェックしている様子が描かれています。

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/oystershell.jpg" alt="天然真珠">

天然真珠の歴史の中で有名なものに、ペルシャ湾で採れる真珠があります。
現在のイランとアラビア半島にはさまれたペルシャ湾は、約4000年前、四大文明のひとつメソポタミア文明が栄えていました。

このあたりは遠浅の海で、チグリスユーフラテス川からの栄養物が堆積されて、良質なアコヤガイが生息することで昔から有名です。
この地域で取れた天然真珠を特に「オリエントパール」と呼ばれることがあり、古くからヨーロッパの王侯貴族が高く評価してきました。

現代では想像しにくいですが、真珠の特にネックレスは男性にも重用されました。
その証拠に多くの時の王や王子は、必ずその肖像画の中で身につけています。
かつての皇族関係者の正式な肖像画で、真珠のネックレスや帽子や衣類にまったく真珠を身に付けていないものは探すのが困難なほどです。
これはヨーロッパだけではありません。
インドのマハラジャはその権力の証のために、多くのジュエリーを身に着けたことで知られていますが、19世紀マハラジャが特に愛したのがやはり真珠でした。
肖像画を見るとよく分かりますが19世紀中ごろまでの真珠は必ずオフホワイトかクリーム色です。

アンティークでしか存在しないハーフ真珠(ハーフパール) ハーフパールとは、真円真珠を半分にカットしたもの。
真珠の種類ではなく技法のひとつです。
基本的にはアンティークジュエリーでしか見つけることができない宝飾技術です。
養殖真珠が作られ始める前、真珠は現在では考えられないほど稀少な存在でした。
天然真珠があまりにも高価なものだったため、真珠を2つにカットしてジュエリーに用いられました、それがハーフパール(ハーフ真珠)です。

ブローチ等の場合、真円真珠は穴をあけて接着剤を付けて針に刺してセットしますが半円真珠の場合はそれが出来ないため、小さな爪で留めてセッティングを行います。
真珠をカットするだけでも大変な技ですが、それを留めるには更に高度な技術を要します。
最近では「アンティーク風」のものが流行しており、稀に「ハーフ真珠」と唄っている商品を見ることがありますが、アンティークジュエリーで見つかる天然真珠のハーフパールとは別ものです。
質の良いハーフ真珠がアンティークジュエリーでしか存在しないその理由は主に3つ挙げられます。

<img src="http://antique-jewelry.jp/jewelry/l/j00494-1.jpg" border="0" width="480" height="360" alt="ハーフパールのアンティークブローチ(半円真珠、天然真珠)">

1)天然真珠を真二つにカットするということは(もちろん手作業でやります)、とても高度な技術を要します。
真珠は硬度はそれほど高い宝石ではありませんし、自然の産物である天然真珠はそもそも完全な真円ではないですからなおさら難しいです。

2)何十年、何百年と持つようなハーフパールをセットするのが、至難の業だからです。
円形の真珠であれば穴を開けて針を刺すということができます。
これも非常に難しい技術ですがハーフパールの場合はそれができないため、すべて爪で留める必要があります。
天然真珠は小ぶりのものが多いですから、その一粒ずつを全て小さなゴールドの爪でセッティングする必要があるのです。

3)アンティークジュエリーの良質なハーフカット真珠は100年経ても退色しません。
現代の養殖真珠ですと、真珠の大方は人工的な核ですから、当然半分などにしてしまえばほどなくして退色が始まってしまうでしょう。
本物のハーフ真珠は、良質な天然真珠と、当時の高度な宝飾技術の両方があってようやく出来るものなのです。

様々なアンティーク真珠(バロック、淡水、マザーオブパール、クロチョウガイ) 真珠には天然真珠、養殖真珠という区分け以外にも産地や組成などにより、たくさんの呼称があります。
アンティークジュエリーでよく出てくる代表的な真珠の呼称をまとめると以下のようになります。

バロック真珠

<img src="http://antique-jewelry.jp/jewelry/l/j01322-1.jpg" border="0" alt="j00891-3.jpg" width="480" height="360" alt="バロック天然真珠 アールヌーボーゴールドペンダント(バロックパール)">

形成される段階で偶然に変形した歪んだパールのことです。
真珠が形成される初期段階で、核の周りに異物が付着し、そのまま形成されて変形が生じるためであるといわれています。
自然の中での偶然の結果なので、この世に二つと同じ形は存在せしないという、魅力があります。
現在では、市場でまわる真珠のほとんどが養殖真珠であるため、皆無になってしまいました。
アンティークジュエリーでは、ルネッサンスの頃から好まれて使用されて、19世紀末頃までのジュエリーに見ることができます。

マベ真珠

母貝をマベ貝とする真珠のことです。
アンティークジュエリーにおいても珍しいですが、時々出てきます。

<img src="http://antique-jewelry.jp/jewelry/l/j00507-1.jpg" border="0" alt="アンティークシトリンネックレス(マベ真珠、アールヌーヴォー)" width="480" height="360">

現代ではマベ真珠はほぼ全てが養殖で、天然のものは皆無ですが、当時はもちろんそんな技術はなく天然です。
養殖の技術は1970年代にTASAKIが開発しました。
貝殻の内側に人口の核や樹脂を貼り付けて、養殖します。
ですので現在ではマベパールは高いイメージがないかもしれませんが天然のマベ貝はまず母貝であるマベ貝の絶対量が少ないこと。
そして激しい潮流の中で生息しているため、小さな異物が入っても体外にすぐに出してしい、他の貝のよりもずっと真珠が出来にくいことで大変希少価値があります。
この指輪のマベ真珠は真円に近いですが、色々な形があります。
そして半球体です。
何ともいえない美しい照りがあり、お探しのコレクターの方も多いです。

シードパール(芥子真珠)

アンティークジュエリーで見られる極小の真珠のことです。
アンティークジュエリーでは時には1ミリにも満たないようなシードパールをネックレスなどに用いていました。

<img src="http://antique-jewelry.jp/jewelry/l/j01217-1.jpg" border="0" alt="フィリグリー金細工アンティークチェーンブレスレット(シードパール)" width="480" height="360">

もちろんアンティークジュエリーで使われているシードパールは全て天然真珠になります。
かつて天然真珠は、剥いた貝の身を桶に集めて炎天下に置き、腐敗してどろどろになった頃を見計らって海水で洗い流し、溜まった真珠を取るといったやり方で採集されていました。
そのため大粒の真珠はもとより、小粒のものも確実に集めることができたのです。

そのようにして採取されたシードパールがヨーロッパに渡り、細工を施されてさまざまなシードパールジュエリーが作られました。
シードパールジュエリーは、19世紀のヨーロッパで黄金期を迎えます。
ケシ真珠に穴を明けて細い糸を通し(真珠が小さいだけにきわめて難易度の高い作業です)、マザーオブパールの台座に縫いつけてネックレスにされたり、ゴールドの線を通してペンダントやブローチにされたりしました。
1つのネックレスを作るのに、時には1000粒以上のシードパールが使われれたこともあります。

真珠の価値としましては昔の天然真珠であってもこれほど小さな真珠は単体では、それほど大きな価値は持ちません。
しかしたくさんの芥子真珠をあしらったものはやはりとても希少で、また真珠の数が増えれば増えるほど膨大な手作業を要します。
その作品に対して高い価値が認められています。

淡水真珠

アンティークジュエリーでも淡水パールを使ったジュエリー(主に1920年代以降のコスチュームジュエリー)は時々見られます。
淡水真珠とは海で採れる真珠ではなく、湖や川で採れる真珠のことです。
天然真珠は人工的ではなく自然に異物が貝に入り込み、そこから時間をかけて真珠層が形成されるため石のほとんどすべてが真珠層でできているのですが、淡水真珠も100パーセント真珠層で作られています。
価格的には海の天然真珠にかないませんが、それでも昔の淡水真珠は真珠層が厚く光沢もよく、現代の淡水真珠と比べ物にならないほど美しいです。
時に海の天然真珠と見分けが困難なほどですが、淡水真珠のほうがフラットな輝きであることが多く、隣において見比べますと分かりやすいです。
コスチュームの淡水真珠のアンティークジュエリーは価値的には真珠そのものにあるというより、その時代を反映したデザインや細工の面白さなどが魅力です。

マザーオブパール

日本語では真珠母貝で、その名の通り真珠を産み出す貝のことです。
現在真珠の母貝として使用されているものは、白蝶貝・黒蝶貝・茶蝶貝・あこや貝・淡水真珠貝・コンク貝等。
マザーオブパールという名前そのものは、複数の貝を指しますが、アンティークジュエリーで出てくるのはほとんどが白蝶貝のマザーオブパールです。
フランスでも古くから重用されて、扇の骨部分やオペラグラス、ジュエリーケースなどに用いられてきました。

<img src="http://antique-jewelry.jp/jewelry/l/j00263-3.jpg" border="0" alt="マザーオブパールレース製扇" width="480" height="360">

しかしジュエリーに用いられたのはほんの少しです。

<img src="http://antique-jewelry.jp/jewelry/l/j01277-1.jpg" border="0" alt="マザーオブパール アンティークネックレス(マルカジット 1800年頃)" width="480" height="360">

南洋真珠

オフホワイトやクリーム色以外のブラックパールなどの色の付いた真珠は、1845年頃から出始めます。
この南洋真珠をスターダムに押し上げたのがフランス皇帝ナポレオン3世の妻ウジェニー・ド・モンティジョ(Eugenie de Montijo)です。
特に美しい黒色の南洋真珠は、クロチョウガイ(黒蝶真珠)と呼ばれます。

<img src="http://antique-jewelry.jp/jewelry/l/j00585-1.jpg" border="0" alt="j00585-1.jpg" width="480" height="360">

クロチョウガイはアコヤガイ、シロチョウガイと同じウグイスガイ科の二枚貝で、赤道を中心とする南北約30度以内の暖かい地域に生息します。
生息最適水温は24-29度ぐらいで、18度では成長がとまり、11-12度になると死んでしまうデリケートな真珠です。
クロチョウガイには多くの変種があり、その仲間はペルシャ湾、西インド洋、沖縄、ミクロネシア、ポリネシア、カリフォルニア湾へ分布しています。

フランスのアンティークジュエリーで度々目にするのが、フランス領ポリネシア地域のクロチョウガイです。
タヒチを中心にするエリアでもあることからよく「タヒチ真珠」とか「南洋真珠」とも呼ばれることがあります。

現在ではタヒチのクロチョウガイも養殖が多くなっており、他の真珠を染色処理し、黒真珠と呼んでいるものもありますので、注意が必要です。
色真珠の養殖は白色の真珠の養殖よりも更に後年になり、アンティークジュエリーで見られる南洋真珠は取り替えられていない限り天然真珠が使われています。
「ブラックパール」と言っても、黒、緑、グレーを帯びたものなどニュアンスはさまざまです。

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18世紀アンティークジュエリーの特徴と魅力

市場に流通するアンティークジュエリーの多くは、19世紀後期以降のものです
アンティークジュエリーの中でも現在市場に流通するアンティークジュエリーの多くは、19世紀後期以降のものです。
18世紀のアンティークジュエリーというのは、イギリスのアンティークジュエリーでもフランスのアンティークジュエリーであってもきわめて流通量が少ないもの。
どれくらい少ないかというと、現地のアンティークショップに行っても、ほとんどのお店にも一点もないのが普通です。
実際、当ショップでも18世紀のジュエリーは両手で数えられるぐらいしか扱っていません。
出てくることは稀で、高いお金を払おうが払うまいが、滅多に見つけられないのが18世紀アンティークジュエリーなのです。

下記は当店で販売済みの1750年製作のパズルリング。

<img src="l/j01412-1.jpg" border="0" alt="1750年パズルリング" width="480" height="360">

18世紀といえば1700-1799年。
フランスの18世紀ジュエリーはその大半がフランス革命(1789-1799)に入る前に作られていますから、まさに250年以上前に作られた歴史的遺産です。
ブルボン王家の最盛期から、フランス革命によって王政が滅びた激動のフランス18世紀。
歴史的に見てもとても面白い時代ですし、ご存知のとおり文化的に素晴らしく洗練されて成熟した文化が生まれて、そしてその多くがフランス革命によってフランス国外へ流出してしまいます。

バロック、ロココ様式とは 18世紀と言えば後期バロック、ロココ様式ですね。
バロック、ロココ様式はパステル調の色合いや、曲線を多用しているところが特徴的です。

この時代に作られた主たるジュエリーに、ボタンやバックル、ストマッカー、髪飾り、コサージュピン、ピアス、ネックレス等があります。

下記は1765年頃に描かれたといわれマリア・ルイサ妃の肖像画(画家はアントン・ラファエル・メングス)です。
ロココのプリンセスの衣装とジュエリーがとてもよく描かれています。
髪には5個の星型のダイヤモンド、耳には大きなジランドールイヤリング(ピアス)、黒いリボンをつけたボウ(リボン)・アンド・ドロップ型のペンダント。
胸には十字章をとめるためのリボン飾り、4連の真珠ブレスレット(ミニアチュールが真ん中に入っている)

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/marialouisa.jpg" alt="marialouisa">

ロココ様式はジュエリーにだけ見られるのではなく、例えば下記のような装身具にも見られます。
この時代の扇は、扇の骨と骨の間に大きな隙間があいていると言う特徴があります。
カラフルな箔が印象的です。

<img src="l/j00265-1.jpg" border="0" alt="j00265-1.jpg(31319 byte)" width="480" height="360">

このようなロココ文化の中で花開いた代表的なジュエリーデザインにジャルディネッティがあります。
ジャルディネッティとはイタリア語で、「小さい庭(リトルガーデン)」を意味します。
花籠やブーケといった小さな世界が、ダイヤモンドやルビーを使ってデザインされました。
下記は当店扱いの18世紀のジャルディネッティブローチ。
このブローチでは、宝石は全てダイヤモンドです。

<img src="l/j01378-1.jpg" border="0" alt="ジャルディネッティブローチ" width="480" height="360">

光の時代 装飾芸術のフランス語の文献ではよく18世紀は「Siecle des lumieres(光の時代)」と表現されます。
18世紀はライトとライトネス。
蝋燭(ろうそく)が普及して蝋燭の明かりの下で過ごす時間が増えたことが、ジュエリーに大きな変化をもたらします。
この時代にイギリスやフランスでカントリーハウスも増えたこともあいまり(映画「マリーアントワネット」でも描かれていますね)、昼用のジュエリーと夜用のジュエリーがはっきり分かれるようになります。
このようにして17世紀までのヨーロッパで主流であったエナメルを多用したジュエリーから、ダイヤモンドを中心にする宝石のジュエリーへと大きな変革が訪れます。

ロココ様式ではダイヤモンドのみならず彩り豊かなジュエリー、そして大きめの宝石をセットすることが好まれました。
18世紀にエメラルドやサファイヤ、ルビーなど色のついた宝石がそれ以前の時代に比べて多くジュエリーのセットされるようになります。

18世紀のエメラルドリング(当店にて販売済み)
指輪はこの時代、裏がクローズドになっているのが一般的です。

<img src="l/j00969-1.jpg" border="0" alt="j00969-1.jpg" width="480" height="360">

宝石以外では、良質な無色の鉛ガラスや色つきのガラスペーストが当時の貴族たちに好まれ、ガラスとは思えないほど美しくセットされたジュエリーが見られます。
こうしたジュエリーはガラスとは言え、非常に高額に取引されていますし気高く美しいジュエリーです。

<img src="l/j01295-1.jpg" border="0" alt="18世紀ペーストガラスネックレス(銀とスティール)" width="480" height="360">

こうした本物の18世紀のジュエリーは、数十年前ならともかく現在パリのアンティークショップを回っても見かけることがほとんどありません。
当店でもこれまで仕入れることのできた18世紀のジュエリーは大抵、懇意にしているディーラーの個人コレクションを売ってもらったものです。
今後、この時代のこうしたジュエリーはますます希少にご紹介しずらくなっていきそうです。

マリーアントワネット(Marie Antoinette) 18世紀と言えばマリー・アントワネットを思い浮かべる方も多いことでしょう。
この時代のフランスではルイ16世紀の妃であるマリーアントワネットというファッションリーダの下で、多くの秀でた宝飾品が作られます。
マリーアントワネットは、一見さりげなく上品にまとまっているけれど、実は大変高価な類のジュエリーを好んだと言われています。
1788年にお抱えの宝石職人バプスト(Bapst)にワイルドローズと山査子(サンザシ)のブーケをダイヤモンドで作らせています。

またマリーアントワネット(1755-1793)のダイヤモンド事件というものもあります。
18世紀、ダイヤは今よりずっとずっと高価なものでした(1720-50年頃で全世界でまだ30万カラットの産出量しかありませでした。
ちなみに現在は、1億2000万カラットほど。)
そんな時代、マリーアントワネットの名前を利用したダイヤモンドの詐欺事件が起こりました。
詐欺師たちが、「160万リーブルもするネックレスをマリーアントワネットが所望している!」と、時の枢機卿に買わせ(お金)を払わせようとしたのです。

デザイン画を見る限り、非常に派手なネックレスです。
首周りに17粒の大きなブリリアントカットダイヤモンド、そこから3本の花綱と4つのペンダントが下がっています。
外側は長い2重のネックレスになり、ダイヤモンドのタッセル(房飾り)がついています。

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/marieantoinette_collier.jpg" alt="マリーアントワネットネックレス">

この事件、マリーアントワネット本人はそんなことが起きているとは知らず、犯人も結局逮捕されたのですが。
飢餓にあえぐフランス国民は、「こんなに自分たちが苦しんでいるのにヴェルサイユではそんな贅沢が行われているのか?」と怒り、フランス革命を加速化させたという説があります。

実際にマリーアントワネットが所有していたダイヤモンドのネックレスは下記で、30石のブリリアントカットダイヤモンドのリヴィエールの周りに、ぺシェイプダイヤモンドのペン段を間隔をあけて配置したデザイン。
デザインとして派手ではないですが、合計43石のダイヤモンドは総計で180カラットもありました。
<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/marieantoinette2.jpg" alt="マリーアントワネットネックレス">

18世紀=ローズカットダイヤモンド? ダイヤモンドに関しては、世界の大きな鉱山の発見は19世紀後期以降ですから18世紀はまだまだ絶対量がとても少なく、制限の多かった時代です。
18世紀アンティークジュエリーのダイヤモンドは、ローズカットにされることが多いです。
ここで少しローズカットダイヤモンドについてお話をしたいと思います。
ローズカットダイヤモンドとは、ダイヤモンドの底部が平らで上部を山形にカットしたカッティングのことを言います。
表面に細かなファセットが入っていて、ダイヤモンドの上部にテーブル(平らな面)がなく、バラのつぼみが開いたように見えます。
下記のような形をしています。

一言で「アンティークダイヤモンドのローズカット」と言っても、実はローズカットも何種類かありそれぞれ異なります。
例えば下記は「ダッチローズカット」と呼ばれるものです。
こちらのダッチローズカットはよくローズカットの見本のように示されていますが、実際のアンティークジュエリーではもっとファセット面が少なく簡略化されたローズカットも多く見られます。

 ダッチローズカット
<img src="../antique_episode/images/dutchrosecut.jpg" border="0" alt="dutchrosecut.jpg(3468 byte)" width="113" height="166" class="floatL">

 シンプルローズカット
<img src="../antique_episode/images/simplerosecut.jpg" border="0" alt="シンプルローズカット" width="92" height="125" class="floatL" />
<img src="l/j01095-4.jpg" border="0" alt="18世紀アンティークダイヤモンドピアス(葡萄、ローズカット、オリジナルボックス付き)" class="floatR" />

他にも底がちょっと厚みがあるものとか、上部がドーム状にふくらんでいるもの等々、ローズカットも色々違いがあります。

ローズカットは主に17世紀半ばから19世紀半ばにかけてジュエリーに用いられます。
17世紀半ば以前はダイヤモンドはテーブルカットや原石に近いダイヤモンドが用いられており、1850年以降はオールドヨーロピアンカット(ブリリアンカットの一種)が登場します。
しかしながらその後も特に脇石などの小さめのダイヤモンドにはローズカットが施されることも多く、「ローズカット」と言うカッティングだけからそのジュエリー(あるいはダイヤモンド)の年代を特定することは難しいです。
18世紀のダイヤモンドジュエリーにはローズカットを用いたものが主ですが、ローズカットダイヤモンドが使われているから18-19世紀のジュエリーとは限りません。
極端なことを言えばローズカットそのものは現代でもカッティングは可能です。

下記は面白いケースです。

<img src="l/j00491-3.jpg" border="0" alt="j00491-3.jpg(37916 byte)" width="480" height="360">

19世紀の半ばに作られた南仏のジュエリーですが、ステップカットのダイヤモンドが使われています。
 これはどういうことかというと、ダイヤモンドの絶対数も少なかった当時、もっと古い年代のダイヤモンドジュエリーから石を外して使っているからなのです。
アンティークジュエリーの年代がダイヤモンドのカッティングからだけでは推定できないという好例です。

もちろんダイヤモンドのカッティングは年代を特定する大事な要素の一つには違いありません。
18世紀のローズカットと19世紀のローズカットには違いも見られます。
一般的に18世紀のローズカットのカッティングは19世紀のそれよりずっと平坦で、またダイヤモンドももっと中に黒い内包物の見られるものが多いです。
この時代のダイヤモンドは黒い内包物が見られることが多いですがその絶対的な迫力と力強さ、そしてダイヤモンドジュエリーでさえも派手さがない抑えた美しさが魅力的です。

<img src="l/j01136-1.jpg" border="0" alt="18世紀ダイヤモンドリング(シャンパンカラーダイヤモンド)" width="480" height="360">

18世紀=必ず銀のセッティング?   18世紀のダイヤモンドジュエリーではダイヤモンドの周りは銀が用いられていることが一般的です。
しかしながらゴールドで直接セッティングされている例外もあります。代表的なものが下記のようなダイヤモンドのクロスです。
この手のアンティーク十字架は、17世紀のものですらダイヤモンドが直接イエローゴールドにセットされているものがあります。
<img src="l/j00880-1.jpg" border="0" alt=" アンティークダイヤモンド十字架(18世紀)" width="480" height="360">

また「18世紀のジュエリー=地金はすべて銀」と思われている方が多いのですが、フランスジュエリーにおいてはそれは異なります。
フランスは、18世紀からジュエリーでゴールドが使われています。
しかも既に18Kゴールドが実用されています。

しかしここで注意していただきたいのは、存在していたのはイエローゴールドのみという点です。
18世紀はホワイトゴールドもプラチナも存在しませんでした。
ですからダイヤモンドジュエリーのセッティング部分は(それ以外のところはもちろんイエローゴールドを使うことも頻繁でした)、銀が使われることが一般的でした。

フランス王家とダイヤモンド   フランス17-18世紀を代表するダイヤモンドについての話をいくつかご紹介したいと思います。
フランスのブルボン王家、特にルイ14世はダイヤモンドの大コレクターとして有名でした。
ダイヤモンドというと、現在では女性の永遠の憧れとステータスというイメージが強いですが、昔は男性の権力の象徴でもありました。
残念ながら、フランスの王侯貴族が誇る誇るダイヤモンドで17世紀前半までのものは、あのフランス革命によりかなりの量が海外に流出してしまっています。
しかしながら当時のダイヤモンドをいまだにまとめて見れる場所があります。
意外にもそれはルーブル美術館です。
ブルボン朝時代のもの、ナポレオン帝政時代のものなどかなりの点数が陳列されています。
またダイヤモンドと言えば、フランス17世紀のフランスに生きたジュールマザラン(1603-1661)がいます。

<img src="../antique_episode/images/Jules_Mazarin.jpg" border="0" alt="Jules_Mazarin.jpg(6548 byte)" width="180" height="230">


マザラン枢機卿は、ルイ14世治世の宰相などは絶対王政の地均しをしたその政治的手腕でも有名ですが、当時の超一流のダイヤモンドのコレクターでもありました。
1661年になくなったときには、合計で18個の大きなダイヤモンドが彼の元にあったそうです。
しかももっとも大きなダイヤモンドはなんと53カラット。
そのすべてはルイ14世に寄贈され。今でも一番大きいダイヤモンドはルーブル美術館に所蔵されています。

18世紀の地方ジュエリー  18世紀はまた豊かなフランス地方ジュエリーが作られた時代です。

下記はヴァンデ地域の指輪です。

<img src="l/j00613-6.jpg" border="0" alt="j00613-6.jpg(13892 byte)" width="480" height="360">

18世紀の鉄のジュエリー(カットスティール)  鉄も18世紀アンティークジュエリーで見られる素材の一つです。
鉄のジュエリーは17世紀初期にイギリスで始まりフランスではフランス革命前の18世紀にその全盛を迎え、その流行は19世紀前半まで続きます。
現存する鉄のアンティークジュエリーは18世紀のジュエリーか19世紀初頭のジュエリーが多いです。
当時、鉄とカットスティールでさまざまな宝飾品が作られました。
「カットスティール」とは、磨いた鉄を鋲状にして、それをぎっしりとプレートの上に敷き詰めたで作られた技法のことです。
表面が鈍い光できらめくのが味わいです。
また当時の鉄を使ったアンティークジュエリーには、カットスティールよりずっと小さな鉄にビーズのような穴を開けて、一つの布のようにしたものもあります。

<img src="l/j00888-1.jpg" border="0" alt="アンティークロケットペンダント(18世紀、鉄製)" width="480" height="360">

当時のフランスは、鉄のジュエリーの地位は非常に高く、多くの王侯貴族に愛されていました。
後年のダイヤモンドの代用品としての「マルカジット」と異なり、鉄のジュエリーは貴石や貴金属が使えない「庶民の代用品としてのジュエリー」ではないのです。
例えばナポレオンの妻のユージェニー后妃なども鉄のジュエリーを愛した一人です。
彼女の死を惜しんで作られた記念のジュエリーには、目を見張る煌びやかな貴石の宝石と共に、カットスティールのセットジュエリーが2つも入っています。
また当時の鉄のジュエリーの人気を物語るもう一つのエピソードに、鉄のジュエリーのイミテーションとして銀で鉄のジュエリーが度々作られたという話もあります。
ヴァンクリーフアーペル社の1809年製造のコレクションにも、18世紀の鉄のジュエリーを模した銀製の櫛が残っています。

18世紀のピアスについて 18世紀のピアスと言いますと、時々「そんなに古くからピアスは存在していたのですか?」と驚かれるお客様も少なくありません。
18世紀からピアスは存在します。

下記はフランス18世紀の「poissarde(フランス語で「猟師の妻」)」と呼ばれるピアスデザインです。
もちろん当時はごく一部の特権階級だけがジュエリーを身に付けることができたので、実際に猟師の妻のために作られたピアスということではありません。
18世紀と言えば後期バロック、ロココ様式で、パステル調の色合いのジュエリーも好まれました。
このピアスの色石はペーストガラス、白い部分はマザーオブパールです。
エメラルドやルビーなどの色石も用いられましたが、18世紀にはこのようなペーストガラスで色を出したジュエリーも多く作られます。

<img src="../antique_episode/images/18thcenturyearrings2.jpg" border="0" alt="18thcenturyearrings2.jpg(64513 byte)" width="460" height="440">

下記は18世紀の「girandole」と呼ばれるピアスデザインです。
ダイヤモンドは、銀でセッティングされています。

<img src="../antique_episode/images/18thcenturyearring.jpg" border="0" alt="18thcenturyearring.jpg(84306 byte)" width="480" height="360">

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アンティークジュエリーの刻印(ホールマーク)について

フランスの刻印(ホールマーク)制度  世界で最も長いジュエリーの歴史をもつ国のひとつフランス。
フランスの刻印制度はイギリスと並び世界で最も早く、制度が作られました。
フランスの刻印は金の刻印だけでもフランス国内用に作られたゴールド製品の押される刻印、輸出用ゴールド製品に押される刻印、輸入金製品に押される刻印等いくつもあります。
すべてを網羅するのはプロでも難しいですが、アンティークジュエリーで使われる刻印はある程度は決まっています。
(もちろん珍しい刻印も時々出てくるのですが・・・)

フランスの刻印は昔も今も国によって厳しく管理されていますので、「金位や貴金属の区分」に関しては、刻印を正確に読み取ればまがい品をつかむことはまずありません。
ただし刻印で読み取れるにはフランスのアンティークジュエリーの場合、貴金属の種類と金位、製造国が主で、必ずしもアンティークの真偽を保証するものではないことも多いです。
(イギリスの場合、製造年や具体的な地域までが刻印で読み取れる場合が多いです)

もちろんヒントになるところはあります。
分からない刻印を調べたいときは、分厚いフランスの専門書で調べるとほとんどすべてが明らかになります。
下記は当店で保有しているフランスの刻印の本です。

<img src="../antique_episode/images/lespoinconsfrancais.jpg" border="0" alt="lespoinconsfrancais.jpg(35496 byte)" width="350" height="480"> ## 刻印がないアンティークジュエリーというのもあります。
「刻印がない=必ずしもフェイク」と言うことではなく、アンティークジュエリーの真偽は色々な要素を複合的に観る必要があります。
しかしそのジュエリーの真偽や歴史をたどる大きな道しるべになることは確かです。

フランスのアンティークジュエリーに使われている代表的な刻印 
1)鷲(わし)の頭  
フランスのアンティークジュエリーで一番多く見る刻印です。
フランスの18金の刻印の一つです。

<img src="../antique_episode/images/3emeteted'aigle.jpg" border="0" alt="4emeteted'aigle.jpg(32950 byte)" width="340" height="340">

18金の刻印ですが、正確に言いますと「18金以上の金に押される刻印」です。
フランスの金の刻印には18金までしか存在しません。
フランスの刻印の法律は非常に厳しく、18金の刻印が押されたジュエリーが18金以下のことはありえないですが、18金以上のことはよくあります。
例えばその作品の意匠から20金近いゴールドが使われていた時も、18金の刻印が押されています。

この鷲の頭の刻印、フランスのアンティークジュエリーでもっともよく見られる刻印で、よく「鷲の頭=アンティークの証ですよ」と記載されたりしているのですが、それは正確ではありません。
鷲の頭の刻印は1838年から存在し、何と現在まで使われている刻印なのです。
長い年月の中で3回マイナーチェンジをしています。

1代目の鷲の頭(1838-1847年):非常に短い間しか使われていないのと、19世紀の前半はまだ刻印制度がそこまで浸透していなかったので、実際のマーケットでこの「初代鷲の頭の刻印」を見る機会は少ないです

2代目の鷲の頭(1847年-1919年)

3代目の鷲の頭(1919年から)

実寸はわずか2ミリほどの刻印の中で非常に類似しているので、大なり小なり磨耗の見られるアンティークジュエリーにおいて見分けは宝石顕微鏡でプロが精査しても現実的には不可能な場合も多いです。
3代目の鷲の頭は1919年から80年代までと非常に長い年月の間に用いられている刻印です。
アールデコのジュエリーに押される刻印も、80年代のジュエリーに押される刻印も、刻印はまったく同じと言うケースがありえます。
2種類の「鷲の頭」が併用されていた時代というのもあります。

またパリ地方で使われていた「鷲の頭」以外に地方だけで使われた「鷲の頭」もあります。
例えば下記ですが、非常に酷似していますので、やはり実寸では見分けは難しいことが多いです。

<img src="../antique_episode/images/poinconparis.jpg" border="0" alt="poinconparis.jpg(38273 byte)" width="500" height="250">

この話だけでもう読むのが嫌になってしまいそうなぐらい複雑ですね(^^)
刻印だけで年代を特定するのがいかに難しく、不可能であることも多いことが分かっていただけたでしょう。

2)馬の頭
馬の頭の刻印は、フランスの刻印としては珍しく年代を特定できる刻印になります。
なぜならこの馬の刻印は1838年から1919年までの間にしか用いられなかった刻印だからです。

<img src="../antique_episode/images/horsehead.jpg">

3)犬の頭
プラチナのジュエリーに押される刻印です。
1912年から存在します。

<img src="../antique_episode/images/doghead.jpg">

4)「サンジャック貝」
フランスで製造された14K(14金)ゴールドに、入れられることが最も多い刻印です。
他の刻印が動物の頭が多いので、年月を経てすれてくると時々見分けが難しくなってくるのですが、サンジャック貝のありがたいところは見分けが比較的容易ということです。

5)「クローバー(三つ葉)」
フランスのゴールドは18Kが標準なので9Kや14Kが使われるのは稀ですが、稀に9K(9金)ゴールドも使われます。
フランスの9K(9金)ゴールドの刻印として最も一般的なのは三つ葉のクローバーです。

6)「梟(ふくろう)」
「鷲の頭」の刻印と同じく、18Kゴールド以上であることを意味します。
梟の刻印は、他国からフランスに輸入されたジュエリーをフランスでコントロールした時に押されます。
例えばイギリスで作られたアンティークジュエリーが、フランスでチェックを受けてフランスで刻印が打たれるときに用いられます。

<img src="../antique_episode/images/owlhead.jpg">

しかしフクロウの刻印だからといって必ずしもフランスで作られたものではない(輸入品)であると100%言い切れるわけではありません。
実際に当店でも明らかにフランスのアンティークジュエリーと推定されるジュエリーに、フクロウの刻印が押されていたと言うケースに何度も直面しています。

例えば元々フランスで作られてその時に刻印を押されずに輸出されて、そして再びフランスに戻ってきたものは、元々がフランスで作られたジュエリーであってもフクロウの刻印が押されます。
可能性としては少なそうに感じるかもしれませんが、例えば当初オーダーメイドで作られたジュエリー(刻印が押されないことが多いです)や19世紀初期までのジュエリーですと製作時に刻印が押されずに後でコントロールを受けるケースは非常に多いです。

 またフクロウの刻印は、「輸入品」にだけでなく、「出自がはっきりしないジュエリー」にも押される刻印です。
フランスで作られたアンティークジュエリーであっても、そのジュエリーを再コントロールに持ち込んだ方があまり様式等について詳しくなく、資料等も用意できなかった場合は「鷲の頭」ではなく「梟の頭」が押されることもしばしばです。
このようにしてどう見てもフランスのアンティークジュエリーなのに、フクロウの刻印が打たれているものと言うのが出てきます。

また当店で実際にあった事例でアンティーク時計の場合、時計の機械は当時スイスで多く作られましたので、ケースがフランスで作られたと想定される場合もフクロウの刻印が押されていることがありました。
これは時計製造の工程にもよるのでしょう(機械内部を先に作ったのか、機械を先に作ってフランス国内で仕上げたのか等によって押される刻印が変わってしまうこともあります)。

 7)猪(いのしし)の頭
銀のジュエリーにもっともよく押される刻印です。

 8)ミネルヴァ  
銀でもジュエリーではなく、銀ケースやカトラリーなどの銀製品にはミネルヴァの刻印が押されることが多いです。

 9)「ET」  
こちらは滅多に見ることのない珍しい刻印です。
フランスでもイギリスでも刻印は、「そのジュエリーが14Kゴールドである」とか「18Kゴールドである」といったように、素材やカラットを明らかにするものが普通です。
しかし例外がありその代表的なものが、このピアスに入っている「ET」という刻印です。
この刻印はアンティークの中でもかなり古いものに時々見かける刻印ですが、何と金にも銀にも押される刻印なのです。
1749年から用いられていた、フランスの刻印の中でも最も歴史が古い刻印の一つです。
「ET」の刻印の入ったアンティークジュエリーの場合、詳しいカラット等は刻印からは分からないので別の方法で調べることになります。
つまり「金位を示す」と言う意味では用を足していない刻印ですが、そのジュエリーが古い時代のものであるという証明になっている刻印です。
多くのフランスアンティークジュエリーの刻印(例えば鷲の頭)で証明できるのは金位だけですかが、この刻印は逆のケースです。
希少で面白い刻印です。

刻印(ホールマーク)が打たれる場所 
刻印はアイテムによって打たれるところが大体決まっています。
-フランスのアンティーク指輪の場合は、フレームの外側部分(イギリスは内側部分なので反対になります)の時計の針の4時か8時の場所に2ミリほどで打たれていることが多いです。

<img src="../antique_episode/images/j01070-9.jpg" border="0" alt="j01070-9.jpg(53550 byte)" width="480" height="360">

-ネックレスの場合、必ずと言って良いほどクラスプの挿入するパーツ側の表面に打たれています。
-クラスプがないタイプのネックレスの場合、留め具の割りかんのところに打たれていることが多いです。

-バングルは下記のようにフレームの側面、あるいはクラスプの内側に打たれていることが多いです。

<img src="../antique_episode/images/j00600-6.jpg" border="0" alt="j00600-6.jpg(18370 byte)" width="375" height="300">

「刻印が打たれているもの=アンティークジュエリーの証」ではありません  よく「刻印の押されているアンティークジュエリーを買いましょう」とか「ここに刻印があるので本物のアンティークですよ」等々日本のアンティークジュエリーの業界は刻印が絶好のセールストークの材料になっているようです。
しかしこれはいつでも正しいわけではありません。
(回避できるリスクもありますが、これは後ほどご説明します。)

まずアンティークジュエリーに刻印は絶対に打たれているものなのでしょうか?
答えはNOです。
イギリスやフランスでは古くから刻印制度が発達していますので確かに打たれているものが多いですが、例外も多いです。
イギリスとフランスでも事情が大きく異なります。
フランスは、イギリスと比べてそれ程「刻印の歴史」はしっかりしていません。
刻印が押されていないアンティークジュエリーは実はかなりたくさんあります。

以下がフランスのアンティークジュエリーにおいて刻印が押されていない主な事例です。
1)19世紀前半以前の作品。

刻印は19世紀の中で発達していきますので、19世紀前半以前のアンティークジュエリーではホールマークがないことが多いです。
ただし18世紀や19世紀初期の頃の作品でオリジナルでは刻印がなかったアンティークジュエリーは、後年になって「再コントロール」を受けることが多いです。
これは現在のフランスの法律で(主にゴールド製品の場合)は、刻印のない2グラム以上のジュエリーを売ってはならないと言うれっきとした法律があるからです。
再コントロールされた場合は、残念ながら現在のフランスの刻印が打たれてしまいます。

2)指輪のサイズ直し。これが一番多いケースです。

3)バングル等の場合クラスプの取替えで刻印がなくなってしまっている。

4)ネックレス等の場合、引き輪部分の取替えで刻印がなくなってしまっている。
よりによってフランスではチェーンやネックレスは引き輪にホールマークが打たれることがほとんどなのです。
ただ幸いネックレスやチェーンは金位が重要になるアイテムですので、比較的気をつけてオリジナルの部分をとらない方法が取られていることが多いです。

3)刻印を打つことで壊れてしまうほど繊細なジュエリー、あるいは2ミリ以下のジュエリー。
2ミリ以下のジュエリーには打たなくてよいという法の例外があるからです。

現代フランスの刻印制度が意味するところ  フランスの刻印から正確に読み取れる情報は金位と製造国がほどんになり、刻印だけでそのジュエリーが作られた年代を特定できるケースは少ないです。
「ETの刻印」や「馬の頭の刻印」はそれだけでアンティークジュエリーであることが確定できる刻印ですが例外的なケースです。
これはホールマークだけで製造年や製造場所を紐解くことが出来ることが多いイギリスの刻印と大きく異なるところです。

「では一体フランスのアンティークジュエリーの刻印って何の意味があるの?」と思ってしまいますよね。
それを理解するためには、「フランスの刻印制度、特に現代フランスにおいて刻印が何のためにあるか?」ということを考えてみるのが有効です。
「フランスの刻印=アンティークを証明するために作られたもの」だけではないというところを理解しておかないといけないです。
アンティークジュエリーが作られた当初はそのジュエリーの出自を残すために作られた刻印ですが、現代フランスでは刻印は盗難防止が大きな目的になっており、そのために刻印が活用されています。[/em
アンティークジュエリーだけでなく、現代ジュエリーを含むいわゆる「ゴールド商品」が、その対象になっています。

フランスの税金やこのあたりの法律は実はとても細かく、例えばフランスのセラーは一点一点、決められた台帳にそのジュエリーの重量等、そしてそれを誰から仕入れたかなどを記載しなくてはいけません。
1商品ずつ番号がついていて、売却する際は決められた領収書(日本のように色々な文具店が出しているものではなく政府の決めたもの)にそのあたりも含めて全部記載します。
ちなみにこの領収書も事業者登録を行っている業者が、事業者登録番号を持ってようやく入手できるものです。
そしてアンティークフェアなどで売る際は、必ずその台帳を持参すること、これは盗難品の販売を防ぐためです。
そして現代の法律において、刻印のないゴールド製品は(免責されないもの以外は)原則として、刻印を押さないといけないことになっています。
しかし実際にはもちろん、サイズ直しや修理といった経過の中で消えるものも含めて、刻印のないジュエリーがたくさんあるのです。

このあたりのことは日本で出版されている文献などにも通りいっぺんのことしか書いてありません。
例えば「18Kには鷲の頭の刻印があります。買う時は必ず刻印をチェックしましょう!」みたいなことしか書いていないのです。
しかし18-19世紀のアンティークジュエリーが後年になって刻印を押されるケースもあるのです。

アンティークジュエリーの真偽や良し悪しを見分けるには、多くの具体例と共に考えることが大切です。
「AだからB」と定義できるところは少なく、日本でそうした文言がセールストークなり、それが必ずしも事実を示していないことをとても残念に思っています。

私も長い年月の間に色々なジュエリーの刻印について実際に現地のディーラーから色々なことを教えてもらい、また事象に遭遇してきました。
この色々な事例に遭遇してそれがなぜだか教えてもらったり調べることが何よりも大事なのです。
アンティークジュエリーの知識は「これにはこんなことがあった!」とか「この前、こんなことがあった」といった話が沢山集積することで深まっていきます。

刻印の再コントロールとは  先ほどからも書いている通り、フランスのアンティークジュエリーには元々刻印の入っていなかたジュエリーはたくさんあります。
しかし特に「ゴールド」を使ったものに関して、特に近年は当局が強くそのジュエリーに刻印を押すことを求めてきています。

「昔のジュエリーでも今、刻印を押すことができるの?」 ↑
「はい、そうです。」
(フランスではそうです)

「押せる」、ではなくむしろそうすることが求められています。
これは先ほども書いたとおり、盗品の流通を防ぐ目的です。
これが「刻印がある=アンティークの証明には必ずしもならない」と私が申し上げている最大の理由です。

例えば明らかに18世紀に作られたフランスの18Kのゴールドジュエリーで、刻印のないものがあったとします。
現地のディーラーさんの取るべき(当局的に)正しい行動とは、それを当局(専門のところがあります)に持参し、書類などを持参し手数料を払い、新たに刻印を押してもらうことです。
18世紀のものであろうと19世紀のものであろうと、現代のフランスの18金の刻印である「鷲の頭」)が押されます。
あるいは明らかにフランス製のアンティークである場合も、担当官によっては他国で作られてフランスに輸入されたジュエリー(あるいは出自が不明のジュエリー)に押されるフクロウの刻印を押してしまうそうです。
これはとても残念なことですが、たとえば刻印を受ける人が揃えた資料の有無ですとか、担当官の知識不足(基本的に普通のお役人ですので貴金属のカラットをテストできる以外の能力は残念ながら備わってないそうです)が理由です。
彼らにとっては貴金属のカラットをコントロールすることが(現代では)目的だからです。
ちなみにフランスで再刻印を受ける場所は「Direction Nationale de la Garantie des Metaux Precieux」という名称の役所になります。
この役所はフランス各地にありパリでは北マレに事務所があります。

しかしもちろんとても面倒でかつお金もかかる作業で、実質的な価値として現地では刻印があるかないかはあまり重要ではなかったりしますので(そうしなくてもディーラー間の中では問題なく売れてしまうため)、実際の場合、ディーラーさんはアンティークの刻印のないジュエリーがっても再コントロールを受けないことも多いです。

ちなみに先ほど刻印があることであるリスクは避けられると言うお話をしたと思います。
例えば18世紀や19世紀のフランスのアンティークジュエリーで刻印がなかったものがあったとします。
フランスのディーラーさんが、このまま売買すると現行の法律に反するので再コントロールを受けて「現代の刻印」を打ってもらいます。
それはアンティークジュエリーとして価値のある、大事な作品だからそんなことをわざわざするのです。

下記は当店で扱っている19世紀初頭のダイヤモンドの胸飾りです。

<img src="l/j01078-9.jpg" border="0" alt="j01078-9.jpg(62352 byte)" width="480" height="360">

チェーンの通し輪部分にフランスの18金であることを示すアンティークジュエリーでよく見る「鷲の頭」の刻印が入っていますが、これは再コントロールの際に入れられたものです。
こちらの刻印は作られた当時に押されたものではなく、近年になって押されたものです。
こちらのジュエリーは再コントロールを実際に受けたのが私が買い付けをしたディーラーさんご本人でして、買い付けの途中でそんな話が出ていたのです。

一方で昨今はアンティークジュエリーのレプリカ(フェイク)がイギリスでもフランスでも問題になってきています。
こうしたレプリカを作るメーカーはどうやらフランス国内ではなく海外にあるようです。
そしてこうしたレプリカのメーカーは、現代作っているにもかかわらずフランスでコントロールはまず受けません。
コントロールを受けるの書類的にも税金的にもかなり大変な作業ですので、やましいところがある海外メーカーはその難問を簡単には突破できませんしする必要も感じないでしょう。
現代の「鷲の頭」が打たれている場合、必ずしもアンティークジュエリーの証拠にはならないのですが、鷲の頭が打たれたアンティーク風に見せたフェイクアンティークジュエリーがそこに混ざっている可能性は相当低いので、結果的にはリスクが減っています。

フランスの刻印が「年代、アンティークの証明」になるケース  「フランスの刻印=貴金属のカラットの証明にしかならなケースが多い」と言うお話をしてきたと思いますが、「刻印=年代、アンティークの証明」になるケースもあります。
フランスの刻印も非常に種類が多いです。
そしてある種の刻印は、ある時代にしか使われなかったものなのです。
その代表的なものが「馬の頭の刻印」や「ET」です。
つまりそうした昔しか使われなかった刻印を見つけることができれば、それはアンティークの証明になります。
しかし実質的には、数としてはとても少ないです。

また「鷲の頭」も、運がよければ旧式の鷲の頭の刻印が綺麗に見わけ出来る状態で残っていることでしょう。

工房の刻印について  貴金属に関する刻印以外に、工房印が押されるケースもあります。
フランスでは貴金属に関する刻印は上記の例外を除いて必須になりますが、工房に関する刻印は打たれているほうが稀です。

<img src="../antique_episode/images/poincondemaitre.jpg" border="0" alt="poincondemaitre.jpg(20021 byte)" width="400" height="200">

工房は星の数ほど存在しそのほとんどは現在存在しないため、刻印だけでどこの工房のものかを見分けることは難しいですが、工房の刻印はどの工房のものであってもひし形をしています。
貴金属に関する刻印と、工房に関する刻印を見分ける事は容易にできます。


結論としてまとめますと・・・
刻印(ホールマーク)は貴金属の種類や金位、製造された時代の道しるべの一つではありますが、18-19世紀のアンティークジュエリーが後年になって刻印を押されるケースもあり、刻印だけではなくそのジュエリーの様式や細工、宝石のカッティング、素材等から総合的に年代を把握することが必要です。

イギリスの刻印について # イギリスのアンティークジュエリーはフランスのジュエリーに比べれば刻印の情報量が多いです。
しかしイギリスのアンティークジュエリーに必ずしも刻印が打たれているかと言うとそうでもなく、特に19世紀はジュエリーに関しては貴金属の刻印を免除する法律があったということもあり、全体量の中ではむしろきちんと打たれている方が稀です。

しかし例外は指輪です。
指輪は法律でジュエリーの刻印が免責されていたときもコントロールを受けて刻印が押されたものが多いです。
また中でも、上記の法律の適用外であったモーニングジュエリー(喪のジュエリー)として作られた指輪はほぼ必ずと言ってよいほど刻印が打たれています。
また後にモーニングリングと同様に免責の除外となったのが結婚指輪。
結婚指輪も刻印がしっかり押されているケースが、多いです。

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アールヌーボー(アールヌーヴォー)のアンティークジュエリーの特徴と魅力

知られざるアールヌーボーの本質 しなやかな曲線と自然への感性。
日本でも人気の高いアールヌーヴォー様式ですが、その「本質」は意外に知られていません。
アールヌーヴォーは19世紀末(1900年前後)、あらゆる芸術領域を席捲した装飾様式です。
ジュエリーの世界でアールヌーボーは、「貴石をシンメトリーにセッティングした従来のジュエリー作り」から「宝石的価値ではなく色によって選別した石を、美しく彫金されたゴールドにニュアンスカラーのエナメルと共にセットしたジュエリー」への脱皮をもたしました。

アールヌーボーと言うと柔らかな曲線から「ロマンチックな自然主義」と言うイメージが強いことでしょう。
しかしその根底には世紀末ならではの「デカダンス」があります。
溢れんばかりに花をつけた枝や、豊かに広がりうねる長い髪といったアールヌーボーの典型的な図柄の裏には、自然の残酷さや死が念頭にありました。

<img src="http://antique-jewelry.jp/jewelry/l/j01097-1.jpg" alt="アールヌーボー女性像の指輪(自然主義、1890-1900年頃)">

アールヌーボーのジュエラーとパリ万博(1900) 
ジュエリー界でもっとも早く「アールヌーボー」の言葉を使い出したのは、ルネ・ラリック(Rene Lalique)。
下記は1902年にイギリスで発行された「Magazine of Art」に掲載されたルネラリックのジュエリーデッサンです。
女性の顔と睡蓮が描かれたペンダントのデッサンですが、この頃はまだルネラリックはロンドンでは広くは知られていませんでした。

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/artnouveau_renelalique.jpg" alt="アールヌーボールネラリック">

1900年のパリ万博では、ルネラリック、メゾン・ヴェヴェール(Maison Vever/ヴェヴェール工房)、ルシアン・ガリヤール(Lucien Gaillard)の3人がジュエリー部門でグランプリを獲得します。
下記は1900年頃に製作された、ルシアンガリヤールの青い鳥の髪飾り。
鼈甲とプリカジュールエナメル、目の部分にダイヤモンドが入れられています。
アールヌーボーは東洋の美意識、特に日本の芸術に強い影響を受けましたが、この作品は私たち日本人が見ても、日本的な美を感じる作品ですね。

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/gaillard.jpg" alt="ルシアンガリヤール">

この万博では、ジョルジュ・フーケ(Georges Fouquet)とウジェーヌ・フィアートル(Eugene Feuillatre)が金賞を受賞しました。
ジョルジュ・フーケは1898年にランの花をモチーフにしたジュエリーでアールヌーボーの作品を初めて手がけます。
そしてポスターアーティストのアルフォンス・ミュシャと一緒に、いくつものプレートをチェーンでつなげたジュエリーを発表します。
下記は1900年にアルフォンスミュシャがジョルジュフーケの宝飾店の内装です。
ステンドグラスやモザイクタイルの装飾等、ミュシャがポスターの中で描いたアールヌーボーのテーマや曲線が再現されています。# 今日、このインテリアショップの内装は、パリのカーナヴァル美術館で見ることが出来ます。

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/artnouveau_mucha.jpg" alt="アールヌーボー、ミュシャ">

また同年代のジュエラーの中でルネラリックと並び賞賛を浴びていたのが、ベルギーのジュエラーであるフィリップ・ウォルファー(Philippe Wolfers)です。

アールヌーボージュエリーの技法  エナメル技法
アールヌーボーは高価な宝石より、「色」によって宝石を選別したことは先にも述べましたが、それ以外の素材として愛されたのがエナメル。
特にプリカジュールエナメルは、ルネラリックが得意として一世を風靡しました。
下記は1903年にルネラリックが製作したパンジーのブローチ。
プリカジュールエナメルにサファイヤ、ゴールドで出来ています、アメリカのウォルターズ美術館所蔵。

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/renelaliquepliquajour.jpg" alt="パンジーのブローチ">

金属の下地がなく、金属枠のみによってエナメルを支える特別なエナメル技法で、ステンドグラスのように光が透ける、最も繊細優美なエナメル技法といえます。
特にでニュアンスカラーを出します。
下記は当店で販売済みのプリカジュールエナメルのペンダントネックレスです。

<img src="l/j01205-4.jpg" border="0" alt="アンティークプリカジュールエナメルペンダント(4色 大きめサイズ)" width="480" height="360">

自然素材
またアールヌーボーのジュエリーで忘れてならないのは、鼈甲やホーン(羊やヤギなどの動物の角を彫刻して使いました)などの自然素材です。
例えば下記は当店で販売済みの、ホーン製のペンダントです。

<img src="http://antique-jewelry.jp/jewelry/l/j00328-1.jpg" alt="ホーン製マーガレットペンダント(アールヌーボー、マーガレット)">

花や昆虫などを、その生命を、ホーンを削り、染色し、彫刻を施すことで描いたアールヌーボーのジュエラーたち。
こうした自然素材は宝石のような素材そのものの希少性というより、当時のジュエラーのみなぎるような創造の力、そして技術を感じられるところに価値があります。

金細工
アールヌーボーの特徴の一つは、職人気質。
フレンチアールヌーボーでは金細工の秀逸な作品が目立ちます。
20世紀には入ると今度はプラチナがジュエリーの世界に登場し、アールデコ期以降は段々にこうした繊細な金細工のジュエリーが衰退していってしまいます。
アールヌーボーの頃は、トップレベルの金細工のアンティークジュエリーが作られた最後の時代と言えます。
アールヌーボーのジュエリーではほぼ例外なくゴールドはイエローゴールドが用いられています。
しかしカラーゴールドの技術も高く、YGをベースに緑を帯びた「グリーンゴールド」やピンク帯びた「ローズゴールド」も取り入れて2カラーゴールド、3カラーゴールドになったジュエリーも製作されました。

下記は当店で販売済みのアールヌーボーのお花のブローチ。
細い雄しべや雌しべまでが瑞々しくゴールドで描かれた、写実的なアールヌーボーの美しさが堪能できます。

<img src="http://antique-jewelry.jp/jewelry/l/j01198-3.jpg" alt="アールヌーボーの花のブローチ(1890年頃/フランス/18金ゴールド)">

アーツアンドクラフツ  当時フランスのアールヌーボー(art nouveau)と同じような職人芸術がイギリス(アーツアンドクラフツ)やドイツ(ユーゲント・シュティール)で起こります。
アーツアンドクラフツは、イギリスのウイリアム・モリスが提唱した芸術運動で、アールヌーボーの理論的先駆けでもあります。
機械作りの低品質の物が氾濫している現状から、中世のように手作りの物を作ろうとしたのです。
モリスはモリス商会を設立し、職人の手作業を重視して作られた商品(ジュエリー以外も家具、インテリア装飾品が作られました)を販売しますが、手作業ということもあって自分の理想を実現するには理想を求めれば求めるほどコストがかかり、うまくいかなくなります。

そして台頭してくるのが、リバティー商会(リバティ百貨店)です。
1875年、東洋に強い憧れをもったアーサー・ラセンビィ・リバティはリバティ百貨店をオープン。
ウィリアム・モリスをはじめとする革新的で最高のデザイナーたちとの交流により、「アーツ・アンド・クラフツ運動」や「アール・ヌーヴォー」といった19世紀末のデザインムーブメントにおける中心的存在となりました。

ところで「リバティ=アーツアンドクラフト」のイメージが強いと思いますが、そうである部分とそうでない部分があります。
カボションカットされた宝石やエナメル技法、金属の表面をハンマーで叩いているところ、銀の多用などアーツアンドクラフツの代表的な特徴を備えていますが、実は初期の頃の作品以外は徹底して、可能な限りマシンメイドで作られました。
アールヌーボー(アーツアンドクラフツ)が職人が理想を追い求めた芸術様式であるのに対して、その製作は商業的です。

またアールヌーボーが作家性を大事にしてサインドピースがもてはやされていたのに対し、リバティはその商品がリバティの商品として認知されることを好み、作家のサインは必要に迫られる限りは入れさせませんでした。
イギリスでもっとも商業的に成功をしたアーツアンドクラフツ運動は、アーツアンドクラフツの根本思想の間逆にあるマシンメイドによるジュエリーであったということは、なんとも皮肉な話です。
下記はアーチボルトノックスがデザインした、リバティ社のエナメルの櫛です。

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/liberty.jpg" alt="リバティ社"> ユーゲント・シュティール  お国は変わりドイツ語圏であるドイツやオランダでもこの時代にやはり「ユーゲント・シュティール(Jugendstil)」と言われる芸術活動が盛んになります。
ユーゲントシュティールも花、葉っぱなどやはり自然からその題材を得ます。
フランスのアールヌーボーとは趣が異なり、アールーボーよりも直線を取り入れたデザインでアールデコの要素を先取りしています。
ドイツではユーゲント・シュティールのオリジナルのジュエリーを模して大量生産品も作られると言ったことが起きました。
当時の中産階級のニーズに応えるためで、テオドールファーナーが得意とした技法です。
これらは必ず、オリジナルの銀や金より劣った金属(例えばアルパカや銅)で作られましたので、特にユーゲント・シュティールスタイルのジュエリーでは素材を確認することがより重要になります。

オランダではヨーゼフ・ホフマンがデザイン総指揮の下、Wiener Werkstaatte工房が美しいユーゲントシュティールのジュエリーを生み出しています。
ジュエリーをデザインする者、そして製作する者に分けて作り出す試みでした。

下記はヨーゼフ・ホフマンがデザインしたブローチ、1907年製作です。
フレンチアールヌーボーとは一線を画した、来たるアールデコの要素を感じさせる作品ですね。

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/hoffman.jpg" alt="ヨーゼフ・ホフマン">

こちらはヨーゼフホフマンがデザイン、Karl PonocnyがWiener Werkstaatte工房のために製作したブローチ。1905年製作です。

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/hoffman2.jpg" alt="ヨーゼフ・ホフマン">

下記は当店扱い、「ユーゲントシュティールのバングルブレスレット(ハナミズキ、ドイツ製、ビルマルビー)」

<img src="l/j01115-1.jpg" border="0" alt="ユーゲントシュティールのバングルブレスレット" width="480" height="360">

このようにフランスから発祥はアールヌーボーは、広くヨーロッパ各国へそして当時のアメリカにさえ影響を及ぼしました。
それぞれ作風に違いがあり面白いですが、実際にアンティーク市場で手にすることが出来るのはフレンチアールヌーボー、アーツアンドクラフツの作品は銀製のあまり品質のよくないものは比較的よく見られます。
ユーゲント・シュティールのジュエリーはそもそもの数が少なく、また前述しましたコピー品ではなく本当のユーゲント・シュティールのジュエリーはきわめて希少です。

アールヌーボージュエリーのモチーフ  「薔薇(バラ)」「デイジー(西洋菊)」
自然の移ろいを表現したアールヌーボーで、多く描かれたのは草や花です。
アールヌーボー期にジュエリーのモチーフになった花に特にバラ、デイジー、スイートピー、パンジーがあります。

下記は当店扱いのデイジーをモチーフにしたネックレス。

<img src="l/j00712-1.jpg" width="480" height="360" alt="ヒナギクのネックレス(デイジー、バロック真珠、アールヌーボー)">

下記は当店扱いのパンジーをモチーフにしたアールヌーボーの指輪。

<img src="http://antique-jewelry.jp/jewelry/l/j01231-1.jpg" alt="アールヌーボー指輪(クラスターリング パンジー エメラルド)">

自然の儚い美しさを描いたアールヌーボーは、「葉」だけをジュエリーモチーフにすることも度々でした。
アールヌーボーの儚さは世紀末思想から来ているだけでなく「日本の美」にも多大な影響を受けています。
下記は当店で販売済みの、ジャポニズムの影響が強く見られるアールヌーボーのピアス。
薄いゴールドの葉っぱのシルエットはまさに生命が宿っているよう。
はかない自然美を圧倒的な造形美で表現しています。

<img src="l/j01038-3.jpg" width="480" height="360" alt="アールヌーボー葉っぱのピアス(フランス、天然真珠と18金)">

アールヌーボージュエリーのモチーフ「銀杏(いちょう)」
銀杏(いちょう)をモチーフにしたジュエリーは、フランスのジュエリー史においてもほぼアールヌーボーの時代だけです。
現在では、人為的な移植により世界中に分布していますが、もともとは日本が由来。
ヨーロッパへは江戸時代にわたります。
まさに「海を渡った日本の花」なのです。

それでもフランスのジュエリーにおいて、イチョウがモチーフとして表現されたのは、唯一アールヌーボーの時代です。
当時のフランスでは、ジャポニズムが席捲しており、アールヌーボーはやはり日本の影響を強く受けているのです。
ジュエリーの他にも、アールヌーボーの時代には、イチョウは版画、当時の工芸品にも好んで描かれました。
ところで銀杏(イチョウ)はフランス語では「GINKGO(ジンコ)」と呼びます。
このスペル、「銀杏(ぎんきょう)」とちょっと似ていると思いませんか?
江戸時代に日本からヨーロッパに「銀杏(Ginkyo)」という言葉が伝えられた際、「Y」と「G」が間違えられて伝わったそうです。

アールヌーボーのモチーフ「ヤドリギ(宿り木)」
宿り木(ヤドリギ)はフランスのアンティークジュエリーにおいて、特にアールヌーヴォー期に好まれたモチーフです。
宿り木はヨーロッパで古くから愛されてきた樹です。
真冬の荒野でも青々とした葉を持つ宿り木(ヤドギリ)。
春を待つ「精」が宿ると言われ、「再生」「永遠」のシンボルとして愛されてきました。
ヨーロッパでは、クリスマスの日に恋人たちがが宿り木の下でキスをするという習慣があり、それが出来ると永遠に結ばれるという言い伝えがあります。

アールヌーヴォーといえばヤドリギというほど、ヤドリギはエミールガレやドームといったアールヌーヴォーのガラス作品から当時のジュエリーにいたるまで、多くのアールヌーヴォーの作品のモチーフにされてきました。
自由な曲線が入り組んだヤドリギには、まさにアールヌーヴォーに適した題材だったのでしょう。
今でも、洗練されたジュエリーやエルメスのスカーフなどに描かれつづけています。

<img src="l/j01043-1.jpg" width="480" height="360" alt="アンティーク宿り木のペンダント(ヤドリギ、アールヌーヴォー、3色ゴールド、)">

アールヌーボーのモチーフ「ツタの葉(蔦の葉)」
ツタの葉も「永遠の愛」の象徴としてしばしばアールヌーボー期にジュエリーで描かれました。
一年中みずみずしいグリーンの葉をつけるツタは、今でも枯れないことから不滅と忠実のシンボルとされています。

蝶、昆虫
ルネラリックを始めとするアールヌーボーのジュエラーは蝶やパンジー、スイートピーと言った一般的なジュエリーモチーフのみならず、イチジク、キリギリス、蛇、スズメバチといったこれまでにないモチーフも好んで描きました。
下記は1895年にルネラリックが娘のために製作したエナメルの蝶のブローチ。
横幅9センチととても大きな作品です。
この作品は2014年9月に開催されたアンティークビエンナーレ(2年に一度パリで開催)に出展されています。

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/batterfly_lalique.jpg" alt="アールヌーボールネラリック">

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アールデコジュエリー その特徴と魅力

アールデコジュエリーとは何か 1930年、著名なデザイナーであったポール・イリブ(Paul Iribe)はアールデコのジュエリーについて以下のように述べています。
「キュービズムとマシンデザインのために、花を犠牲にしている」。
アールデコ期にも以前として花や葉っぱなどの自然主義のモチーフのジュエリーも存続しつづけますが、「抽象的なジェオメトリックなデザインの台頭」なしにこの時代の動きは語れません。

下記は1927年、Lacloche Freres(当時美しいアールデコのジュエリーを多く生み出したスペインのメゾン) によるサイプレスの枝を描いたピンです。
同じく葉や枝をモチーフにしたジュエリーでも、19世紀のものとは一線を画したジュエリーであることが一目瞭然です。

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/cypress.jpg" alt="Lacloche Freres">

アールデコを生み出した社会要因 ではなぜそのようなラディカルな変化がデザインの世界に起きたのでしょう?

パリで「アールデコ」という新しい芸術が発祥した理由は、まずなんと言っても第一次世界大戦によって古い価値観が崩れ、女性の社会進出をはじめとした社会革新が起きたことです。
社交界で豪華なジュエリーを付けるのは前世紀から変わりませんが、当時の富裕な女性たちは、デザインの面で大きく変化したジュエリーを好むようになります。
化粧をしたりタバコもすったモダンな富裕な女性たちのライフスタイルの変化が、ジュエリーのデザインにも変化をもたらします。

彼女たちの求めた洋服やジュエリーは、第一次大戦前までの貴族社会の中で続いてきたものとは全く違うクリエイションによってもたらされています。
ドレスデザイナーたちは第一次世界大戦後のこの時代によりシンプルなラインのドレスを作り始めました。
下記は当時活躍したファッションイラストレーターGeorges Lepapeのデッサンです。
当時の女性のイメージが掴めるでしょうか?

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/artdecofemme.jpg" alt="アールデコ期の女性">

加えて時の経済・金融事情も新しい装飾芸術を後押しした要因のひとつでした。
1914年以前のフランスは安定した金利に支えられた安定経済だったのに対し、20年代は毎日のようにフランの価値が下がっていく激動の時代でした。

超インフレが起こり、毎日のように通貨の価値が落ちて生きます。
1919年時に5.45フランだったアメリカドルは、1926年7月にはなんと50フランに!
このような状況のもと、人々は自分の財産を換金性の高いものへ、つまり絵画・宝石・芸術品に投資していきます。
こうしてアールヌーヴォーが陰りを見せはじめた1900年ころから冷え込んでいた宝飾業界に再びお金が流れ、活気が戻り始めるのです。

アールデコジュエリーの特徴 アールデコのジュエリーが、ひときわ煌びやかで輝きを放っているのにはいくつか理由があります。
アールデコジュエリーの主だった特徴をご説明しましょう。

宝石(ダイヤモンド)の密集度
1920-1930年代に作られたジュエリーの特徴の一つに、数多くの宝石(特にダイヤモンド)をぎっしりと、密集度高くセッティングしているという点が挙げられます。
これには19世紀後期に南アフリカでダイヤモンドの新しい鉱山が発見されて良質なダイヤモンドをふんだんに使えたと言う当時の社会事情、及びそれに伴ってダイヤモンドのカッティング技術も飛躍的に伸びたという技術面の進化も関係していまます。

ダイヤモンドのカッティングは19世紀までの伝統的なローズカットに加えて、ステップカット、バゲットカット、プリズムカット(角柱)、台形のカットなど、考えうるありとあらゆるダイヤモンドのカッティングが加わります。
その組み合わせによって、これまでと異なる宝石の屈折、光の反射を知り、革新的なジュエリーが生み出されました。

下記は当店で販売済みのバゲットカットのブルーサファイヤの指輪。
バゲットカットとはステップカット(宝石の外周が四角形に型どられており、ファセットが側面のガードルに対して平行に削られているもの)の一種です。

<img src="http://antique-jewelry.jp/jewelry/l/j01104-1.jpg" alt="ブルーサファイヤリング">

下記は当店で販売済みのアールデコブローチ。
ダイヤモンドとサファイヤが長方形、正方形、三角など様々な形にカットされています。
ダイヤモンドのセッティングも、これまでのような単純な舗装作業ではなく、光の反射を考えながら行う切嵌(きりばね)を行うた製作過程へと変化します。

<img src="http://antique-jewelry.jp/jewelry/l/j00648-1.jpg" alt=" ブルーサファイアアールデコブローチ">

色のコントラスト
この時代、ダイヤモンドだけを敷き詰めたジュエリーと、ビビットなカラーストーンとダイヤモンドの組み合わせたジュエリーの両方がトレンドとして存在しました。
カラーストーンを用いた場合は、はっきりとした色のコントラストをつけているのが特徴です。

最も好まれたカラーストーンはブルーサファイヤ、ルビー、エメラルドですが、「白と黒のジュエリー」も好まれました。
黒はブラックオニキス、あるいは着色されたカルセドニーが用いられました。
下記はヴィクトリア・アルバート美術館所蔵のパリのJanesich社が1925年頃に製作したドロップ型イヤリングです。
ブリリアンカットダイヤモンドに、黒く着色したカボションカットのカルセドニー、ホワイトゴールドのセッティングです。

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/janesich.jpg" alt="janesich">

プラチナあるいはホワイトゴールドによる繊細で目立たないセッティング
アールデコの時代は、イエローゴールドより特に宝石の周りは白の金属が好まれました。
(もちろん概してと言う意味で、イエローゴールドが用いられた秀逸なアールデコのジュエリーもあります)。
「アールデコ=プラチナ」のイメージが強いかもしれませんが、ホワイトゴールドや銀でも秀逸な作品が作られています。
下記は1934年、パリのレイモンド・テンプリエがデザインしたブローチ(ラピスラズリ、ブルーエナメル、ホワイトゴールド)。

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/templier.jpg" alt="templier">

プラチナを使ったアンティークジュエリーは1920-1930年代、アールデコ期のジュエリーによく見られるようになります。
プラチナは金属そのものは19世紀中に見つかっていますが、金や銀に比べると溶かす温度が高くまた硬く加工が難しかったため、宝飾品に特に全体の地金としてプラチナが取り入れられ始めるのは1920年以降のことです。
プラチナは特徴としてよく伸びるのですが何といっても硬く、こまかな金細工を施すにはホワイトゴールドのほうが適していることも多々ありました。

一方でプラチナはレースのようなデリケートなプラチナワークはもちろんのこと、オープンワークのジュエリーにも向いた金属です。
「ミルグレイン」という宝石を金属で枠留めした際、その枠の上に小さな打刻模様を連続してつける装飾方法も多く用いられていました。

特にプラチナを好んだのはカルティエです。
カルティエがアールデコ期に製作したジュエリーの地金のほとんどはプラチナ、そしてプラチナは他のメゾンや工房より10年プラチナを早く取り入れていることでも知られています。
下記は1930年にカルティエNY製作の花かごのブローチ。
ダイヤモンド(バゲットカットとブリリアントカット)にロッククリスタルとムーンストーンと言う白と透明色の色の組み合わせもまたアールデコならではの色彩です。

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/flowerbasket_cartier.jpg" alt="カルティエNY製作の花かごのブローチ">

時代が求めたデザインの変化(幾何学的パターン)
ギャルソンルックに身を包んだショートヘアのモダンガールが好んだのは長く垂れ下がるピアス。
この時代、下に長く下がるタイプのドロップイヤリング(ピアス)が再流行します。
下記は当店で販売済みの同時代のクリソプレーズとダイヤモンドのロングピアスです。

<img src="http://antique-jewelry.jp/jewelry/l/j01049-1.jpg" alt="クリソプレーズとダイヤモンドの超ロングピアス">

長くなったのはピアスだけではありません。
ネックレスも長くなります。
ロングネックレスの先端に更にペンダントやタッセルを付けて更に長くすることもしばしばでした。

ネックレス及びブレスレットは幾何学的な輪に貴石をセットしたものをつなげたものが好まれました。
下記は1930年頃のフランス製ネックレス(2本のブレスレットにもなる)。
バゲットカットダイヤモンド、ブリリアンとカットダイヤモンドを幾何学的なパターンで組み合わせています。
当時の典型的なジュエリーパターンです。

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/baguette.jpg" alt="janesich">

異国趣味 アールデコは一方で、インドのジュエリー、東洋の芸術、古代エジプト文明、マヤ文明、アジア趣味などいろいろな異文化から影響を受けて発祥した装飾様式です。

下記は1928年にカルティエ・ロンドンがルイス・マウントバッテン伯爵の妻のために製作したブレスレット。
額にバンドのようにして身に着けることも出来るように作られています。
インドのマハラジャのジュエリーに強い影響を受けた作品で、実際にこのブレスレットのルビー、ブルーサファイヤ、エメラルドはそれ以前のインドのジュエリーから再利用したものです。

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/tuttifrutti.jpg" alt="トゥッティ フルッティ ">

ロシアバレエ(バレエリュス)もまたアールデコに強い影響を及ぼした異文化の一つです。
ディアギレフによって1909年に結成されたバレエリュスは、ニジンスキーなどのトップダンサーの超人的なパフォーマンスはもちろん、ロシアのフォークアートをヒントにした、レオンバクストによる原色による舞台演出が成功の秘訣であったと言われてています。

またシノワズリとよばれる中国美術にも影響を受けます。
例えば「黒色と金」「黒と赤」「黒とダイヤモンド」といった強い色のコンビネーションが、エキゾチックで強いインパクトをもたらしています。

そもそも自然界には原色はあまり存在しないので、アールデコ時代以前の世界では、原色による表現というのは存在しえませんでしたが、1910-20年代にはさまざまな芸術分野で原色による表現が始まります。
こうした強い色のコンビネーションは「狂騒の時代」と呼ばれた当時の世相を反映しているようです。

フランスから世界へ羽ばたいたアールデコ アールデコはフランスで生まれた装飾様式です。
狭義にいえばアールデコは1919-1929年のフランスに限定された装飾様式を指します。
しかしフランスで発祥したアールデコは後年、内陸ヨーロッパやアメリカにも強い影響を与えます。
特にドイツ、ベルギーやオランダ、オーストリアでは1930年代、建築、インテリア、ジュエリーとさまざまな分野で、アールデコの影響を強く受けます。
アールデコとは広義には、こうしたフランス以外のヨーロッパ諸国、そして大西洋の反対側アメリカ東海岸に派生したものも含みます。

本来のフランスのアールデコに対し、これらの国で作られたジュエリーはより大胆で現代的に「アールデコ」を解釈したものが多いです。
これらは「モデルニスト(モダニズム=現代主義)」とも形容される装飾様式に発展していきます。
こうした内陸諸国のアールデコ・モデルニストの特徴としては、ラインがより直線的であること。
対称色のみならず原色を取り入れていること。
幾何学的模様が発展して、よりクールでやや機械的になっていくという点があげられます。

素材もクロームメッキ等、より大胆な素材が使われていきます。
下記は1929年、バウハウスのインダストリアルデザイナーNaum Slutzkyがハンブルグ(ドイツ)で製作したネックレス。
素材は真鍮にクロームメッキが施されています。
バウハウスはアールデコから影響を受けた芸術様式ですが、インダストリアルデザインの要素が強く出ています。

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/slutzky.jpg" alt="NaumSlutzky ">

アールデコのジュエラーたち(ジャン・デプレ、RAMA、ジェラール・サンドス)
アールデコ期には数々の名ジュエラーが生まれました。
代表的なジュエラーを何人かご紹介します。

ジャン・デプレ(Jean Despres)
1920-30年代に活躍したフランス人ジュエラーです。
幾何学模様の指輪や、ケルト民族の影響を受けたシルバーや真鍮、銅をハンマー打ちしたブローチで一躍有名になりました。

デプレは同時代のキュービズムの絵画から影響をうけ、その抽象的な幾何学デザインは、アールデコ様式をもっとも顕著なデザインのひとつであるとされています。
またデプレは、ピュリフォルカのテーブルウェアのデザインもいくつか手がけ、そのシルバープレートのナプキンリングなどは、世界的なオークションで非常に高価で取引されています。

現在では、ブルゴーニュ地方にあるアヴァロンという町の美術館にかなりの数のジャンデプレ作品のコレクションが所蔵されています。

下記は1932年にジャン・デプレが製作したアヴァンギャルドなペンダント(現在 美術館所蔵)。
ジャンデプレはプラチナの代わりにホワイトゴールドを用いることが多く、こちらのペンダントではゴールドを銀で塗った面白い使い方をしています。
黄色石はシトリン。

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/jeandespres2.jpg" alt="ジャンデプレ ">

ラマ(RAMA)
アールデコは1920年代パリではじまった装飾スタイルですが、1930年代その動きは他のヨーロッパ諸国、大陸にも広がります。
そしてフランス人以外の傑出したアールデコジュエラーを生み出しました。
そのうちの一人が、南米ウルグアイ出身のラマです。

ラマは1920-35年の間、モンテビデオ(ウルグアイの首都)で、TORRES-GARCIA というクリエーターグループと仕事をし、この頃からその作品の独創性により世界的に認知されはじめます。
彼女の作品は権威あるヨーロッパのアンティークギャラリーで稀に扱っていますがとても高価で販売されています。

ジェラール・サンドス(Gerard Sandoz)
ジェラールサンドスは1902年に、長い歴史を誇る宝飾家の家庭に生まれます。
父は当時の宝飾業界に大きな力を持ち、ジェラールは10代のときに一族が経営する宝飾店(メゾン・サンドス)のためにジュエリーデザインを手がけはじめます。
アールデコは対照的な色使いがその特徴のひとつとして挙げられていますが、それを地でいったのがまさにこのジェラールサンドス。

赤と黒の幾何学模様のシガレットケースやブローチなどが、最も有名です。
ジェラールはまたポスター作家そして画家としても活躍。
同年代のジュエラーたちとUAMとして知られる近代芸術家同盟に参加。
しかし多才であったジェラールサンドスは1931年、画家活動と映画活動に専念するため、ロワイヤル通りにあったサンドス宝飾店を閉店します。

下記は1928年にジェラールサンドスが製作した指輪。
銀、ゴールド、赤と黒のエナメル。
赤と黒の強い色のコンビネーションが印象的です。

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/gerardsandoz.jpg" alt="ジェラールサンドス ">

シャルルジャコー(Charles Jacqueau)
シャルル・ジャコーは1885年生まれ、20 世紀前半のアール・デコの時代にカルティエで活躍した宝飾デザイナーです。
1909 年、高級宝飾店が軒を連ねるパリのラ・ペ通りのカルティエで、ジャコーの才能溢れるデザイン画は 3 代目ルイ・カルティエの目に止まり、カルティエのジュエリーデザイナーに抜擢されます。
下記はシェルル・ジャコーがデザインを手がけたカルティエのブローチペンダントです。

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/charlesjacqueau.jpg" alt="シャルルジャコー ">

華麗な色彩と幾何学的な形を駆使した独創的なアールデコの宝飾品を数多く生み出します。
シャルルジャコーの活躍は同時代の絵画界のトップを走り続けていたピカソにちなんで「ジュエリー界のピカソ」となぞられていました。

Paul Flato
1930-1940年代に活躍したアメリカのジュエラーです。
ヨーロッパのアールデコをもっと派手に煌びやかにアレンジして、当時のアメリカの富裕層、ハリウッドのスターなどにジュエリーを提供しました。

特にブルー系の宝石を重用し、ブルーサファイアやアクアマリンを使った大ぶりで豪華なジュエリーを作りました。

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/paulflato.jpg" alt="paulflato ">

アクアマリンとダイヤモンドのブローチ、サファイアとダイヤモンドの羽の形をしたブローチ。
コンヴァーティブルのジュエリーも得意としていて、ブローチが時計にもなるもの、バングルがブローチになるものなども有名です。

この時代、アメリカは非常に景気がよく、社交界で目立つためならお金に糸目をつけなかったと言います。
ビジネスマンとしての商才にもたけ、この時代、ハーパースバザーやヴォーグなどの有名ファッション雑誌で広告を打ち始めていました。

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1940年代のカクテルジュエリーと戦後エステートジュエリー

どこまでが「アンティーク」でどこからが「ヴィンテージ」なのか? アンティークやヴィンテージという言葉はよく耳にしますね。
ではどこまでを「アンティークジュエリー」と呼び、どこからを「ヴィンテージジュエリー」と呼ぶのでしょうか?
「アンティークは100年以上たったもの」という定説はありますが、今日ではジュエリーに関しては1930年代のアールデコまでを含んで「アンティークジュエリー」と呼ぶのが一般的です。
1930年代と言いますと厳密に言えば100年を経ていないですが、ジュエリーの素材や製造過程、デザインがその時代特有のものか、量産を目的としたジュエリーか否かがアンティークとヴィンテージを分けるひとつの基準で、それが1930年代で分かれると考えられています。

それでは1940年以降のジュエリーに価値がないかというとそういう訳ではありません。
特に1940年代のジュエリーには戦火の迫る中、その時代にしかない特徴的なデザインで高く評価されています。
1940年代というと、第二次世界大戦を思い浮かべる人が多いようです。
ですので40年代ジェエリーというと、「戦争中にジュエリーなんて作っていたのですか?」と質問をされることがあります。
40年代ジュエリー(フォーティーズスタイル)とは正確に言うと、1939-1943年当たりに作られたジュエリーを指します。

1940年代の20世紀アンティーク? フランスは1930年代が特に「白いジュエリーの時代」と言われ、ホワイトゴールドやプラチナを中心に白い地金のジュエリーが流行します。
ジュエリーの表部分にホワイトの地金を用いたジュエリーは1900年頃からトレンドになっていましたから、そうした「白いジュエリーの時代」は実に35年ほど続いたことになります。

1930年代後半になると それまで続いた白いジュエリーの時代が終焉を迎え、イエローゴールドを大胆に使ったジュエリーが次々と作られるようになります。
1940年代のジュエリーの特徴はまず肉厚なイエローゴールドです。
磨き上げた艶のある鮮やかなイエローゴールドの面をデザインの中に大胆に使っているのが、1940年代以降のジュエリーの特徴です。
戦争の足跡が聞こえていたこの時代プラチナは軍需金属とされたため、イエローゴールドへの回帰が高まっていたと言う社会背景もあります。

下記は当店で販売済みの1940年代のイエローゴールドタンクブレスレット。
チャームにそれぞれ仕掛けが施された、遊び心溢れるジュエリーです。

<img src="l/j00517-1.jpg" border="0" alt="j00517-1" width="480" height="360">

「フォーティズスタイル」と呼ばれる重厚感のある40年代のジュエリー。
その代表的な指輪が、バックルやベルトなどがモティーフにダイヤモンドやルビーなどの色石を配したこのカクテルリング、カクテルブレス、カクテルウォッチです。

下記は当店で販売済みの1940年代のカクテルジュエリーウォッチ。
カバーを開くと時計が出てくるやはりサプライズのある、遊び心あるジュエリーです。

<img src="http://antique-jewelry.jp/watch/l/w00002-1.jpg" border="0" alt="カクテルジュエリーアンティークウォッチ" width="480" height="360">

イヴニングドレスやカクテルドレスにこのような見栄えのする豪華なジュエリーで華を競いました。
カクテルリングの他、タンクと呼ばれる四角張ったボリューム感じのある指輪、ポン(橋)、ヌー(リボン)といった特徴的な指輪デザインも生み出されました。
下記は当店で販売済みのヌー(リボン)のリング。
40年代の作品です。

<img src="http://antique-jewelry.jp/jewelry/l/j00231-1.jpg" border="0" alt="リボンと星のヴィンテージリング(プラチナ、18金、1940年代)" width="480" height="360">

物騒な時代背景と対照的に40年代のジュエリーは、肉厚で華やかな明るい作品が多いです。
コスチュームジュエリーの先駆けを作った1940年代ジュエリーは「20世紀アンティーク」と呼ばれることもあります。

戦後エステートジュエリー 戦争から解き放たれた開放感とともにより自由で女性的なデザインにか変わっていきます。
アールデコを継承した幾何学的なデザインの他に花やリボンなどフェミニンなデザインのジュエリーが作られ、それらが流行の主流になっていきます。
1930年代までのジュエリーに比べて制約から放たれ解放感に溢れ、女性的で柔らかいデザインです。
デザインも簡略化されているものの、ジュエリー製作としては非常に手が込んでおり高い技術が用いられています。

ファッションの世界では1947年にクリスチャン・ディオールが発表したコレクションが「ニュールック」と呼ばれヨーロッパ中を席捲します。

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/dior_newlook.jpg" alt="ディオールニュールック">

ゆったりなだらかな肩に細く絞ったウエスト、長いフレアースカートが特徴です。
ジュエリーもエレガントで女性的なシルエットが求められるようになります。
艶やかなイエローゴールドをたっぷり使用したジュエリーは、戦後の女性達が求めたフェミニンなファッションと共に時代の主流になっていきます。

下記は当店扱いの1940-1950年頃製作推定のブローチ。
裏面がクリップになっているのも特徴的です。

<img src="http://antique-jewelry.jp/jewelry/l/j01126-1.jpg" border="0" alt="デザイン美、機能美、ファッション性、新しい時代を告げるジュエリー" width="480" height="360">

価格が5倍も暴騰をしたエステートジュエリーもあります! フランスをはじめ欧米ではこの20年来、1940-1950年代のジュエリーに対する歴史的評価が確立しています。
特に近年評価が急騰しているのが、戦後1940-70年代のグランメゾン(ブランド)の製作したジュエリーです。
この時代にヴァンクリーフアーペルやカルティエが製作したジュエリーは、近年世界中の名だたるオークションで驚くほど高価に取引されています。
その値上がりのすざまじさは一説には、2008年の頃と比べて5倍ほどあがったものもあるそうです。

専門書も立て続けに出るなど、フランスをはじめ西欧で今一番「熱い」ジュエリー。
欧米のセレブリティが近年こぞって手に入れようとしているのがこの時代のグランメゾンのジュエリーです。
アンティークジュエリーには及ばないにしても、現代と比べれば宝石の品質も良いことが多く、価値が認められつつあります。
こうした主に一流ブランドのヴィンテージジュエリーは「エステートジュエリー」と呼ばれて取引されることが多いです。#

下記は1949年、ヴァンクリーフアーペル製作のパウダーケースです。
イエローゴールドで表面は籐細工をイメージしています。
ダイヤモンドに緑石はカリブレカットされたエメラルド、中を開けると鏡があります。
20世紀初頭からこの時代にかけてはジュエリーのみならずこうした至極贅沢な女性の喫煙や化粧にまつわる小物が作られました。

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/poudrier40.jpg" alt="ヴァンクリーフアーペルケース">

下記もヴァンクリーフアーペル。

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/ballerine.jpg" alt="ヴァンクリーフアーペルバレリーナ">

1943年製作、バレリーナのブローチ。
2作品とも2010年のクリスティーズのオークションに出品されていた作品で、当時の推定価格も非常に高価ですが、それでも今では(2018年現在)この時の数倍の価格がつきます。

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イギリスアンティークジュエリー

イギリスのアンティークジュエリーで、市場で流通してるのは下記の時代のジュエリーが主になります。

1:ジョージアン(ジョージ王朝時代のジュエリー)

2:ヴィクトリアン(ヴィクトリア王朝時代のジュエリー)

3:エドワーディアン(エドワード王朝時代のジュエリー)
1890年から1920年頃まで(エドワードの在位は1902年から1910年まで)。

ジョージアン ジョージ王朝時代のジュエリー ジョージアン時代は1714-1837年の4人のジョージと言う名前の王の治世期間のことを言います。

流行したジュエリー
アイテムとしてはショートネックレス、リヴィエールネックレス、ロングチェーン、カメオをチェーンに垂らしてネックレスにしたもの、時計チェーン、レースピン(レースブローチ)等が好まれました。
リヴィエールとは、同じような大きさと形の宝石を一つのライン上に連ねた指輪やネックレスのことです。
下記はジョージ王朝時代後期のブレスレットです。
金細工技術が最も発達したのがこの時代、ハンドメイドのゴールドのメッシュが素晴らしいです。

<img src="http://antique-jewelry.jp/jewelry/l/j01375-1.jpg" alt="ジョージアン 伸縮するゴールドブレスレット(イギリス)">

下記はやはりレイトジョージアンならではの卓越した金細工が見られる作品です。
「金の刺繍」と呼ばれるカンティーユ細工はこの時代に発達します。
またピンクトパーズはイギリスでもフランスでもこの時代に人気を博した宝石です。

<img src="http://antique-jewelry.jp/jewelry/l/j01331-1.jpg" alt="ジョージアン ピンクトパーズペンダント(カラーゴールド カンティーユ細工)">

宝飾技術の進化
ジョージアン初期の頃は特にダイヤモンドが好まれ新しいカッティングも研究されます。
この時代にローズカットやテーブルカットが生まれます。
やがてガーネット、トパーズ、エメラルド、ルビー、アメジスト、サファイヤなどの色石も流行します。
下記はジョージアン王朝時代後期のダイヤモンド指輪。
ダイヤモンドはローズカットにされています。

<img src="http://antique-jewelry.jp/jewelry/l/j01371-3.jpg" alt="ローズカットダイヤモンドリング(レイトジョージアン 1830年頃)">

宝石のセッティングはジョージアンの時代はクローズドセッティングでフォイルバッグになったものが多いという人もいますが、これは特にジョージアン前半に見られます。
19世紀に入ってから(ジョージアン後期)はクローズドにされていないものも多くなります。
ジュエリーメイキングの部分的な機械化は19世紀後半に始まりますので、この時代はすべてが完全にハンドメイドで、ジュエリーの需要に供給が追いついていませんでした。

金位としては15ctゴールドは公式には1854-1932年の間に用いられた金位とされていますがもっと古い時代から実用され、実際にはジョージアンの時代のジュエリー大半が15カラットゴールドで作られています。

デイジュエリーとナイトジュエリー
日中用のジュエリーには、真珠や珊瑚、アンバー、琥珀などの自然素材も好まれ、アンバーや琥珀などは特にカメオやインタリオに使われました。
ナイトジュエリーは一転して、ローズカットダイヤモンドやオールドマインカットダイヤモンドが好まれました。

センチメンタルジュエリーの始まり
その他、1800年前後頃はセンチメタルジュエリーが作られ始めます。
アイボリーに葬儀の様子を彫ったり、愛する人の髪の毛を入れたロケットペンダント。
愛した人の自画像をミニアチュアに描いたペンダントやブローチ、愛した人の目だけを描いた肖像画をジュエリーなどが製作されます。#
センチメンタルジュエリーについては別途、詳しく記しましたのでご参考ください。

センチメンタルジュエリー ラヴジュエリー ハートモチーフジュエリー

ヴィクトリアン ヴィクトリア時代のジュエリー 「ヴィクトリアスタイル、ヴィクトリア時代等々」アンティークジュエリーがお好きな方なら、一度は耳にしたことがあるでしょう。
「ヴィクトリアンアンティークジュエリー」とは、19世紀イギリスヴィクトリア女王の在位の間に作られたジュエリーのことです。
ヴィクトリア女王の在位は1837年から1901年、実に60年以上になります。
イギリス史においても郡を抜いた御世の長さで、英国初の女帝でもあります。

18歳にて即位、母方の従弟に当たるザクセン=コーブルク=ゴータ公子アルバートと結婚。
ヴィクトリア女王は、英国の最も輝かしい時代の女王で、その治世は「ヴィクトリア朝(1837-1901年)」と呼ばれます。
夫、アルバート公との愛も伝説として残っています。
この時代イギリスは世界各地を植民地化して、一大植民地帝国を築きあげます。

その治世の長さから19世紀ヨーロッパの王族貴族に絶対的な影響力を及ぼし、アンティークジュエリーにおいてもヴィクトリア朝、ヴィクトリアスタイルのジュエリーは他の時代のジュエリーに群を抜いて多いです。
この時代に作られたジュエリーをヴィクトリアンジュエリーと呼ばれます。

ヴィクトリア時代(1837-1901年)には多くのジュエリーが作られました。
「ヴィクトリアンジュエリー」は一言で言うには長いので、下記のように3つの時代に区切ることも多いです。

1)ロマンティック時代(1837-1860)
若かりしヴィクトリア女王の若さがジュエリーにも反映された時代。
文化的に中世を懐古する動きがあり、この頃のジュエリーのデザインはルネサンス及び中世の影響を受けたものが多く見られます。
ルネサンス回顧は1829年頃から始まります。
特にルネサンスからインスパイアされた「フェロニエール」と呼ばれる、リボンで額につけるジュエリーが一世を風靡します。
下記は当店扱いのヴィクトリア時代初期のエメラルドの指輪。
手の凝ったロマンチックなショルダーなど、中世を回顧しようなクラシックな装飾様式が見られます。

<img src="http://antique-jewelry.jp/jewelry/l/j01244-1.jpg" alt="アーリーヴィクトリアン エメラルド指輪(ダイヤモンド 15ctゴールド)">

モチーフとしては何と言っても自然界のものが多く、フラワーブーケット、枝、葉っぱ、葡萄、ベリーをモチーフにしたジュエリーが作られます。
この時代のジュエリーのことをジュエリー用語で「ナチュラリズム(自然主義)」と呼ぶことがあります。
ナチュラリズムについては別途、詳しく記しましたのでご参考ください。

自然主義(ナチュラリズム)のアンティークジュエリー 

またお花とそのシンボルをジュエリーに取り入れたり、蛇のモチーフのジュエリーがその全盛期を迎えます。
フランスが、この時代にアルジェリアを植民地にしたことから、タッセルや結び紐、花綱模様に代表されるアッシリアスタイルがジュエリーの世界にも入り始め、特に蓮華模様は以降40年間隆盛します。
下記のペンダントにもアーリーヴィクトリアンの特徴が良く出ています。

<img src="http://antique-jewelry.jp/jewelry/l/j01373-1.jpg" alt="ルビーとダイヤモンドンペンダントトップ(15カラットゴールド ヴィクトリア朝初期)">

2)グランピリオド時代(1860-1885)
この時代、一部の女性たちが教師や工場官の仕事に台頭し、選挙権を得るために戦い、1870年の法律改正で自らの稼ぎを自分のものにすることが初めて認められました。
女性のファッションは大きく変化し、デコルテの開いた服と斜め後ろに髪を束ねることが流行します。
ジュエリーの世界では1860年頃より1880年代の終わりまで、知的階層を中心に古代ジュエリーのリバイバルに沸きます。
この時代のジュエリーのを「アーケオロジカルスタイル(古代様式)」と呼びます。

これは1870年頃までに考古学上の発見が相次ぎ、古代ジュエリーの詳細が初めて明らかにになったためです。
そして多くのジュエラーが、古代ジュエリーを模したジュエリー、時には完全にコピーをしたものを製作します。
現代ではいわゆるこのようなレプリカ(完全な模倣)は良いことではないとみなされますが、当時は古代ジュエリーのレベルがあまりに高かったため、古代ジュエリーを模すことはクリエイティブな作業であると考えられていました。

「古代様式」のジュエリーで名をはせたのはカステラーニとジュリアーノです。
下記はヴィクトリアアルバート美術館所蔵、カルロ・ジュリアーノの1865年頃製作のアケオロス(ギリシャ神話の神の一人)のネックレスです。

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/achelous_giuliano.jpg" alt="ジュリアーノ">
(c) Victoria & Albert Museum, London

ジュリアーノは、エジプトのシンボル、スカルベをジュエリーモチーフに取り入れ、ギリシアやエトルリアのリバイバルも起こり、グラニュレーションなど古代の宝飾技術が研究します。
カステラーニとジュリアーノについては、より詳しく記したエピソードがございますのでご参照ください。

カルロ・ジュリアーノ(Carlo Giuliano)一族とカステラーニ(Castellani)のアンティークジュエリー

その他、この時代にピケ、ロッククリスタルで作られたリバースインタリオ、スティックピンかカフスボタンが流行します。
モチーフで言うと、お花やモノグラムの他、昆虫や蝶、蜂、蜘蛛なども出現しはじめます。

モーニングジュエリー(喪のジュエリー)が生み出されるのもこの時代です。
ヴィクトリア女王が42歳の時に夫アルバートを亡くします。
女王は悲嘆し、常に喪服を着用するようになり、数年に渡り公の場に姿を現さなくなります。
その中から生まれたのがジェットを使ったモーニングジュエリーです。

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/mourningjewelry.jpg" alt="モーニングジュエリー">

ジェットのジュエリーについては、別エピソードで詳細をまとめておりますのでぜひご参考ください。

アンティークジェットとモーニングジュエリーについて

3)耽美主義時代 Aesthetic period(1886-1900年頃まで)
ヴィクトリア時代の末期。
グランピリオド期の大ぶりで格式ばったジュエリーへの反動が起こります。
厳格なしきたりや格式ばったジュエリーは影を潜め、ジュエリーに明るさや軽さが戻ってきます。
下記はヴィクトリアンの最後の時代に作られたダイヤモンドリング。
色鮮やかな明るい指輪です。

<img src="http://antique-jewelry.jp/jewelry/l/j01201-1.jpg" alt="ヴィクトリア王朝時代後期クラスターリング ダイヤモンド(1900年イギリス、ヴィクトリアン)">

ヴィクトリア女王と夫アルバートの名を冠した美術館がロンドンにはあります。
ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館(Victoria & Albert)です。

近年、ヴィクトリア&アルバート美術館内に宝石をテーマにした新しいギャラリーがオープンしました。
The William and Judith Bolinger Jewellery Gallery」と呼ばれるこのギャラリー。
展示されるのは18-19世紀から20世紀前半にかけてのヨーロッパのアンティークジュエリーを中心とする宝飾品計3500点あまり。
イギリスエリザベス1世の宝飾品からフランスナポレオン帝政時代の絢爛豪華なジュエリー、サンペテルスブルグの秀逸なファベルジェのジュエリーなど。
800年に及ぶヨーロッパのジュエリー史を網羅するこのギャラリーは、特に19世紀ジュエリーまた20世紀の指輪が充実しています。

エドワーディアン(エドワード王朝時代のジュエリー) 1901年にヴィクトリア女王が死去し1902年、エドワード7世は60歳のときに即位します。
アルバート・エドワードは、ヴィクトリア女王とアルバート公の長男。
ヴィクトリア女王の御世が長かったことから、エドワード7世はイギリス王室で最も長く王太子(プリンス・オブ・ウェールズ)の地位にありました。
優れた外交センスで英仏協商、英露協商を成功させ「ピースメーカー」とも呼ばれました。

エドワード王の在位は1901-1910年までですが、「エドワーディアンのジュエリー」とは、1890年頃から1920年頃までにイギリスで作られたジュエリーを指します。
隣国フランスのベルエポック時代とほぼ重なります。

なぜこのように「エドワーディアン」と「ヴィクトリアン」が部分的に重なっている期間があるかと言うと、ヴィクトリア王朝時代の末期に既にエドワーディアンのジュエリーの特徴が見られ始めるからです。

例えばエドワードの妻アレキサンドラは皇太子妃時代から、ドッグカラーと呼ばれるチョーカー(dog collar choker)を流行させています。
ドッグカラーとは、首にピッタリの短めのサイズが特徴のネックレスで、アレキサンドラ妃はほぼ常に、ドッグカラーを単品あるいはロングネックレスと合わせて着用していました。

<img src="http://antique-jewelry.jp/antique_episode/images/alexandra_dog_collar.jpg" alt="アレキサンドラ妃">

エドワーディアンのジュエリーを一言で言えば、「18世紀ジュエリーへの回顧」です。
この時代、まだアールヌーボーやアーツアンドクラフツの影響が残っていましたが、アーツアンドクラフツのように「クラフトマンシップ」に重きをおくのではなく、エドワーディアンのジュエリーは、宝石のセッティングに重きを置きました。

特にダイヤモンドのセッティングです。
この時代ちょうど19世紀後半からの新大陸でのダイヤモンド鉱山の発見を受け、ダイヤモンドカッティングの技術も大幅に向上していました。

エドワード王朝時代に流行したのはフィリグリーのリング、シングルダイヤモンドの結婚指輪(ホワイトゴールドを使ったものも含む)、彫りの入った紋章のリングや誕生石の指輪等です。
色使いの点でも大きな変化が見られます。
エナメルやミクロモザイク等に代表されるヴィクトリア時代のカラフルな色使いから、単色のジュエリーが好まれました。

下記は当店で販売済みのイギリスエドワーディアンのダイヤモンドリング。
宝石はダイヤモンドだけ。
単色使いの端正さが際立つリングです。

<img src="http://antique-jewelry.jp/jewelry/l/j01002-4.jpg" alt="エドワーディアンプラチナダイヤモンドリング(0.6-0.7カラット、プラチナ細工)">

デザイン、装飾様式としてはエドワーディアンのジュエリーは言うまでもなく、18世紀のロココ様式に影響を受けています。
ジュエリーモチーフとして再び、リボンやタッセルが好まれ、隣国フランスと同様に「ガーランド」と呼ばれる独特の花綱様式が流行します。
その先駆者であったのがカルティエ社。
そしてファベルジェはこの時代にエナメルを施した、そして裏面を幾何学的なギロッシュで覆ったジュエリーで一躍有名になります。

花綱模様(ガーランド)様式のネックレスでこの時代によく作られたのが、トルマリン、真珠、ルビーなどを配したペンダントトップに短めのチェーンをつけたスタイルのものです。
下記は当店で販売済みのアメジストのペンダントネックレスです。
「ガーランドx色石x短めのチェーン」とエドワーディアンの典型的なペンダントネックレスです。

<img src="http://antique-jewelry.jp/jewelry/l/j01286-1.jpg" alt="エドワーディアン アンティークペンダントネックレス(ガーネット 天然真珠)">

ゴールドのカラットとしては、エドワーディアンの初期の頃1900年頃まではまだ9ctゴールドも見られますが(9ctゴールドの使用はイギリスで特に1880-1900年頃に見られます)、特に20世紀に入ってからは18ctゴールドで作られたジュエリーが多くなってきます。
15ctゴールドもまだ僅かながら見られる時代です。
「白い金属」としては、19世紀からホワイトゴールドの使用が見られますが、1900年以降はプラチナが部分的にではありますが好んで用いられるようになります。

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