直径5ミリの大粒のダイヤモンド
透明度の高いダイヤモンドが印象的な指輪です。
メインダイヤモンドの直径が5ミリ。
指輪自体は細身ですが、ダイヤモンドは意外なほど大きさがあります。
直径5ミリは現代ですとそこまで大きいダイヤモンドという印象はないかもしれませんが、こうしたタイプのアンティークリングのダイヤモンドは4ミリぐらいまでが多いです。
アンティークダイヤモンドとしてはかなり大きい石になります。
無色で綺麗なダイヤモンドで、台座から8本の爪でダイヤモンドを留めています。
台座部分はお花の形になっていて、綺麗なカーブが入っています。
爪と爪の間の隙間からキューレットを見ることが出来る構造になっています。
このようなダイヤモンドの台座とセッティングは、20世紀初頭のフランスのダイヤモンドリングによく見られます。
横に美しく装飾が広がるデザインで、左右にそれぞれ3石のダイヤモンドがセットされています。
脇石のダイヤモンドは台座に奥深く埋め込まれるようにセットされています。
最後の石の横もダイヤモンドがもう1石入っているように見えますが、彫金です。
台座部分のうねるようなカーブの入れ方や脇石部分の彫金など、アンティークらしい細やかな細工がぱっと見たときの繊細な美しさにつながっています。
細身で現代でも着けやすいデザインも魅力です。
メイン石はオールドヨーロピアンカット、脇石はローズカット
メイン石はオールドヨーロピアンカットにされています。
オールドヨーロピアンカットは、ブリリアンカットが発明される以前のカッティングで、ブリリアンカットと同じ58面のファセットを持っていますが、まだ真円に整いきっていません。
メインのダイヤモンドの中心部にまるで大きな穴が開いているように見えますが、これもオールドカットの特徴です
何故かキューレットを大きくカットしているからです。
このキューレットのカットは年代が後につれてどんどんと小さくなる傾向があり、古い時代ほどキューレットを大きくカットする傾向があります。
脇石はすべてローズカットです。
このように1つのリングの中で二種類のカッティングのダイヤモンドが使われていることも、この時代過渡期なのでよく見られます。
1910年頃の製作。
18カラットゴールド。
指輪サイズは15.5号(有料でサイズ直し可)。
小さな写真をクリックすると大きな写真が切り替わります。
ダイヤモンドはその時代の権力者、富裕層を魅了してきた石です。
桁外れの大きさやクオリティーを持つものは、数々の伝説を生みました。
いくつか世界的に有名なダイヤモンドをご紹介してきましょう。
ホープダイヤモンド(The Hope Diamond)
ホープダイヤモンドとは、現在アメリカのスミソニアン博物館のひとつである国立自然史博物館に所蔵されている、何と45.5カラットのブルーダイヤモンドのことです。
その歴史は、フランス人ジャン=バティスト・タベルニエという男性がこの巨大なダイヤをインドからフランスに持ちかえったことに遡ります。
その後、ルイ14世→ルイ16世とマリーアントワネット→フランス革命中に盗難にあいます。
次々とその持ち主が死んだり、破産したりすることから「このダイヤモンドは災いをもたらす」という伝説が生まれますが、最終的には1910年にカルティエが購入します。
この伝説もカルティエが売り込みのためにでっちあげたという話もあります。
もともとルイ14世購入時、ホープダイヤは112.50カラットあったという記録が残っています
ルイ14世購入時:112.50カラット
ルイ14世がハート型にカットさせた後:69.03カラット
今に伝わる大きさ:45.5カラット
カリナン(The Cullinan)
世界最大級のカットダイヤモンドが見れる意外な場所、それはロンドン塔です。
ロンドン塔はテムズ川の岸辺、イースト・エンドに築かれた中世の城塞です。
「女王陛下の宮殿にして要塞」(Her Majesty's Royal Palace and Fortress)と呼ばれるように、世界に誇る英国王室の財宝の数々が保管されていて、世界最大級のカットダイヤモンド「カリナン」もここに展示されているのです。
入場料を払うことで、誰でも見学をすることができます。
この「カリナン」は1905年に南アフリカのプレミア鉱山で発見されました。
その名前は、発見したトーマス・カリナンの名にちなんでいます。
英国王エドワード7世の66歳の誕生日に献上されました。
どのようにカッティングしたら一番大きくダイヤモンドが残せるか、研究された上でカッティングされました。
洋ナシの形の530.2カラットのダイヤモンドがカリナン1 「the Great Star of Africa」。
そして下記がカリナン2 「The Second Star of Africa」。
やはり、ロンドン塔の中に飾られています。
アルコット(Arcots)
元々ペアシェイプの2粒の大きなダイヤモンドでした。
その美しさから3カ国のロイヤルファミリーに所有されることになります。
インド、イギリス、アメリカ、サウジアラビアと旅することになります。
最初はインドのアルコットという街のナワブによって所有され、この街の名前「Arcots」がこの稀有な美しさのダイヤモンドの名称となりました。
ナワブが1777年にイギリス王妃シャーロット(ジョージ3世の妻)に進呈をします。
その後、ジョージ4世が所有をし、王冠に用いられ、その後、ウィリアム四世の妻アデレードが持ちます。
その後、ウェストミンスターの侯爵に売却され、後年、パリの有名なジュエラーラクロッシュ(Lacloche)によってティアラにされます。
1959年にササビーズのオークションで今度はハリーウィンストンに渡り、ここで30.99と18.85カラットに再カットされてしまい、ペアダイヤモンドでなくなってしまいます。
そして今度は指輪として別々に共にアメリカ人に売却されます。
大きいほうのArcots1は、その後ヴァンクリーフアーペルのネックレスにされて、1993年にクリスティーズのオークションで サウジアラビアの Sheik Ahmed Hassan Fitaihが落札しました。
ティファニーダイヤモンド(Tiffany Yellow Diamond)
全ての女性そして人類の憧れであるダイヤモンド。
多くの「有名ダイヤモンド」は現在でも意外に個人所有が多いのですが、企業や美術館が保管しているものもあります。
そうした「伝説のダイヤモンド」の一つが、ティファニー・ダイヤモンドがあります。
現在もNY5番街本店の入り口に展示されてる巨大なイエローダイヤモンドです。
このイエローダイヤモンドは、1877年に南アフリカのキンバリーで287.42カラットの原石で発見され、それからパリに渡ります。
1879年にティファニーの初代宝石鑑定士ジョージ・フレデリック・クンツ博士の立会いの下、128.54カラットの美しいクッションシェイプのブリリアントカットにパリでカットされましたカットされました。
通常のブリリアンカットは58面体であるのに対して、この「ティファニーダイヤモンド」には90面のカットが施されています。
現在は1995年にジーン・シュランバーゼーがデザインした「Bird on a Rock」にされています。
ダイヤモンドの上に鳥が止まっているというコンセプトのブローチで、プラチナとゴールドで出来た鳥の体には、ホワイトとイエローのダイヤモンドがちりばめられ、目にはルビーがセッティングされています。
ボー・サンシー(Beau Sancy)
ボーサンシーは、16世紀後半にダイヤモンド収集家ボー・サンシーがイスタンブールで見出したダイヤモンド。
彼の名前を取り「ボーサンシー」と呼ばれています。
後にフランスの国王アンリ4世が購しましたが、これは王妃のマリー・ド・メディシス(Marie de Medici)がこのダイヤモンドにたいそう惚れ込んだからと言われています。
マリードメディシスは後に息子のルイ13世の摂政になりますが、1610年の戴冠式にてこのボーサンシーのダイヤモンドを王冠に飾らせたことで歴史に名前が刻まれました。
35カラットもある素晴らしいダイヤモンドで、ペアシェイプのローズカットダイヤモンドです。
フランス王家の後は、イギリス、プロイセン王国などの歴代王室で所有されヨーロッパ王室400年の歴史を目の当たりにしてきた伝説のダイヤモンドです。
2012年、サザビーズがボー・サンシーの競売を公表。
2012年5月15日に競売に付され904万2500スイスフラン(約7億7000万円)で落札されたそうです。
アンティークエピソード集のページでは、様々なアンティークに関するエピソードをご覧いただけます。
アンティークリング、アンティークネックレス、アンティークピアス、アンティークブレスレット等、希少なヨーロッパのアンティークジュエリーを随時100点以上揃えています。
シェルシュミディで取り扱うアンティークジュエリーは、全てオーナーが直接フランス、イギリスを主としたヨーロッパで買い付けてきたものです。