圧倒的に少ないプラチナのアンティークチェーン
ゴールド製や銀製のチェーンも探されていますが、とりわけ入手が困難なのがプラチナ製のアンティークチェーンです。
なぜかと言いますとプラチナが宝飾史の中で登場してくるのはかなり遅く、しかも宝石周りのセッティングだけでなく全体がプラチナで作られたチェーンは1910-1920年代の20年間ほどしかないからです。
これらのチェーンは、多くの場合はプラチナにゴールドバックのエドワーディアンスタイルのダイヤモンドペンダントに合わせて作られました。
このチェーンはかなり華奢ですが、やはり小ぶりの当時のペンダントに合わせて作られたと思われます。
同じタイミングで編み目の酷似した2本のハンドメイドのプラチナチェーンを手に入れていますが、こちらは軽量の方です。
9番目のお写真が一緒に撮った写真です。
このチェーンは手前側のものになります。
アンティークプラチナチェーンの王道を行く編み方です
縦長の円形と真円に近いパーツを交互に組み合わせた編みになっています。
これは1910年頃のプラチナのハンドメイドチェーンの典型的な編み方で、ゴールドチェーンに比べて編み方のバリエーションの少ないプラチナチェーンは似たような編みのものが多いです。
前述しましたこれより重量のあるプラチナチェーンとは、真円のパーツの個数が異なるぐらいで編み方としてはよく似ています。
長さが37センチで短めですが、単品あるいは小さめのペンダントをつけて浅めにつけていただくのには問題ない方も多いでしょう。
留め具部分もオリジナルで、つまみ部分だけがイエローゴールドになっているのは当時の典型的な古い時代の留め具である証です。
細身のチェーンですので軽量のペンダント以外は通すのは避けられたほうがよいです。
1910年頃のフランス製。
小さな写真をクリックすると大きな写真が切り替わります。
プラチナは金や銀に比べると溶かす温度が高く、19世紀の末まで使用されることはほとんどありませんでした。
皆さんもご存知のようにプラチナが一般的に市場に出てくるのは早くても1910年頃、一般的には1920年代に入ってからです。
もちろんアンティークジュエリーは例外の連続で、稀に19世紀のジュエリーの一部に使われていたなんていうこともあり、一説によると1850年ぐらいから実験的な試みは始まっていたようです。
表面、特にダイヤモンド周りがプラチナで裏面がイエローゴールドバックになったジュエリーは20世紀初頭。
1910年頃のイギリスで言うとエドワーディアン、フランスで言うとベルエポック後期の頃の作品に良く見られます。
下記は当店で販売済みの1900-1910年製作、ダイヤモンドペンダントネックレス。
表面がプラチナでダイヤモンドの透き通った美しさを最大限に活かして、裏面がイエローゴールドになっています。
しかしゴールドパックされていない、全体がプラチナで出来たジュエリーが多く見られるのは1920-1930年代、アールデコ期のジュエリーにおいてです。
この時代、プラチナはジュエリーだけでなく時計のケースにも用いられています。
下記は当店で販売済みの同時代のプラチナダイヤモンドウォッチ。
プラチナの延性
プラチナはよく「延性がある」と表現されるのですが、粘り気があり破壊されずに引き伸ばされる性質を持っています。
少量でも延びるプラチナは小さな爪でダイヤモンドをセッティングすることを可能にし、レースのようなデリケートなプラチナワークを可能にしました。
少量でも延びるプラチナのおかげで、小さな石を完璧に留められるようになり、19世紀以前のジュエリーに比べて特に石周りが明るく垢抜けたジュエリーが多くなります。
メイン石の周りを小さなダイヤモンドが囲んだような、繊細精緻なタイプの秀逸なジュエリーが作られます。
またプラチナと言うとミルグレイン(ミル打ち)と言うほどミル(縁のギザギザ)を打つのに適した金属です。
プラチナの硬質な白い輝きは、それ以前のアンティークジュエリーとはまた異質の輝きで、その細くシャープなラインが現在見ても「時代の最先端の息吹」を感じさせてくれます。
そして特にプラチナを好んだのはカルティエです。
(カルティエがアールデコ期に製作したジュエリーの地金のほとんどはプラチナ、そしてプラチナは他のメゾンや工房より10年プラチナを早く取り入れていることでも知られています)。
下記は1930年にカルティエNY製作の花かごのブローチ。
ダイヤモンド(バゲットカットとブリリアントカット)にロッククリスタルとムーンストーンと言う白と透明色の色の組み合わせもまたアールデコならではの色彩です。
プラチナのジュエリーとゴールドのジュエリー
ちなみにプラチナが市場に出てきたからといっても、すべてのジュエリーの地金にプラチナが使われたわけではありません。
あいかわらずイエローゴールドも、ホワイトゴールドも(1875年頃から実用化)、銀のジュエリーすら作られ続けています。
特にフランスのアンティークジュエリーの場合、フランス人が歴史的にゴールドが好きな民族であるせいか1930年以降のジュエリーにおいてもプラチナを使ったものはごく一部です。
プラチナの刻印
フランスの刻印は非常に数が多く、18金ゴールドでも非常にたくさんの種類の刻印があります。
私たちディーラーでも全ての刻印を覚えていることはできず(主だったものだけを皆さん覚えています)、珍しいものがあると専門の本があるのでそれを見ながら「あーでもない、こーでもない」と盛り上がっています。
(しかもフランスの刻印は2ミリほどと非常に小さく、年月の磨耗もあり非常に見ずらいのです)。
そんな中で比較的シンプルなのがプラチナの刻印。
「犬の頭」の形をしています。
プラチナは後年に出てきたもののせいか、ゴールドと比べると刻印のバリエーションはずっと少なく、アンティークジュエリーに出てくるプラチナの刻印はほぼこの一つといってよいでしょう(もちろん外国製のもの等、例外を語りだせばキリはないのですが・・・)。
プラチナの産出量と価格
プラチナは現在では全世界の産出量の75%が南アフリカ共和国で採れるのをご存知でしょうか?
中でも南アフリカ最大規模の鉱山がラステンブルグ鉱山。
ここでは月間およそ110万tのプラチナ原鉱石を採掘しているそうです。
1トンの原鉱石の山から抽出されるプラチナは、たったの3グラム。
掘り出されたプラチナ原鉱石は近くの精錬所に運ばれ、8週間かけて純プラチナが抽出されるそうです。
プラチナの値段の動きは、ゴールドに比べて大きくなることが多いです。
値段があがるときは大きくあがり、下がるときは大きく下がるということです。
これはなぜかといえば、プラチナの市場規模が金に比べるとはるかに小さいためです。
プラチナの供給量は実に金の5%にも満たないのです。
プラチナが実用化されておよそ100年経ていますが、それでも尚、貴金属の中でも最も貴重な金属なのです。
またプラチナの生産が一部の国に偏っているものもう一つの要因です。
南アフリカのシェアが圧倒的に高く、全世界のプラチナ生産高の7割以上を占めています。
ついでロシアが生産地とあげられます。
両国と経済的に不安定な地域ということもあり(例えば政治的に何かこの地域で勃発すると値段が急騰したりします)、プラチナ市場は変動幅が大きくなっています。
アンティークのプラチナジュエリーがこれらの価格の影響を受けるかといえば、そこまで急激に連動している感じではありません。
アンティークのプラチナジュエリーは素材そのものというより、繊細なプラチナワークやその時代のトップレベルの宝飾技術が評価されていることの方が多いからです。
しかし緩やかではありますがやはり地金の価格が高騰すると、アンティークジュエリーそのものも全体として価格が高騰する傾向にあります。
そしてやっかいなのは一度価格が高騰してしまいますと、元々新たに作られることのない希少なものなので、例えその後に地金そのものの価格は下がってもアンティークジュエリーの価格は高止まりしたままになってしまいます。
プラチナのアンティークジュエリーは作られた期間がとても短く(非常に早いもので1910年代、多くは1920-30年代、そして1940年代にはもう終わってしまうので非常に短いのです)、それだけに元々非常に希少なアンティークジュエリーです。
残念ながら今後は、値段は上がることはあっても下がることはないでしょう。
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