細工や作りがアンティークらしい凝った作りです
アンティークらしい細やかな細工の美しいダイヤモンドペンダント。
トライアングルのような形のモチーフの中に、ドロップラインが垂れていて、ダイヤモンドがセットされています。
ダイヤモンドは綺麗なオールドヨーロピアンカットの石です。
直径3ミリほどのきっちりと大きさのある美しいダイヤモンドが枠の中で揺れる構造になっています。
プラチナの粒金がいたるところに施されていて、ダイヤモンドはメインの1石だけなのですが、ルーペで見ない限り粒金がダイヤモンドのように見えるほどキラキラ煌めいています。
精緻な細工がアンティークらしいペンダントです。
取り外し可能なアンティークチェーン付き
ペンダント自体はゴールドバック(18カラットイエローゴールド)のプラチナになっており、側面から見るとゴールドとプラチナが張り合わされているのが分かります。
プラチナが市場に出始めたばかりの1910年頃のジュエリーによく見られる、特徴的な作りです。
こうした手のかかる独特の地金の作り方は、現代のジュエリーにはなくアンティークジュエリーならではの醍醐味です。
オリジナルと思われるチェーンがついています。
1910年頃にプラチナなどでも見られる縦長の輪をハンドメイドで編んだ独特のデザインですが、こちらのチェーンは18カラットゴールドです。
触れるとすっと伸びて綺麗に垂れる、人気のあるアンティークチェーンの編み方です。
ペンダントから外しても使えるので、他にも活用できて重宝です。
1910年頃のフランス製。
チェーンの長さは42.5センチ。
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古いダイヤモンドは輝かないのか?
「古いダイヤモンド=輝かなくて当然」と思われている方が多いです。
しかしこれは「あまり品質のよくないアンティークダイヤモンドを売るためのキャッチコピー」なのではと思ってしまいます。
確かにもし同じ品質のダイヤモンドがあったと仮定して、それを昔のカットと現在のブリリアンカットにすれば、前者のほうが圧倒的に鈍い輝きになります。
しかしだからといって良質な昔のダイヤモンドが輝かない、煌かないわけではありません。
確かに19世紀後期に新大陸でダイヤモンドが見つかる前のアンティークダイヤモンドには、黒い点のような内包物があることは多いですが、内包物と輝きや透明度はまた別の問題です。
良質なアンティークダイヤモンドはクローズドセッティングやローズカット、銀のセットなどにされていても、相応の深い輝きがあるものです。
現地のプロのディーラーも、アンティークダイヤモンドに関して輝きがあるかどうかは必ずチェックする項目です。
それは単にキラキラしているというのではなく、深い輝きがあるかどうか。
アンティークのダイヤモンドも良いものは透明度があり、そして深く輝くものなのです。
下記は当店扱いの19世紀中ごろの大粒のローズカットダイヤモンドリング。
これだけ古い時代のローズカットでも、素晴らしい煌きが見られます。
アンティークダイヤモンドの産地
アンティークジュエリーに使われているダイヤモンドの産地は、どこだかご存知でしょうか?
よくイギリスエドワーディアンのジュエリーやアールデコ期のジュエリーなどの説明書きに「新大陸でダイヤモンド鉱山が発見されてから、それ以前のように黒い内包物を含まない光り輝くダイヤモンドが用いられるようになった・・・・」といったことが書かれているのをご覧になられた方は多いでしょう、
「新大陸」とは「南アフリカ」のことになります。
ダイヤモンドの産地というと現在では、南アフリカをイメージされる方が多いかもしれませんが、南アフリカの鉱山が発見されるのは1860年代になってからです。
19世紀後期になるとこの新鉱山の発見を受けて、ダイヤモンドの流通量はそれ以前に比べて格段に増えます。
それを反映して1880年頃からのアンティークジュエリーには、ダイヤモンドを使用したジュエリーが増えます。
下記は当店扱いのアールデコ期のダイヤモンドペンダントネックレス。
この頃のアンティークダイヤモンドには、19世紀の中期以前とは明らかに異なる光輝くそれは美しいダイヤモンドが用いられています。
それ以前のアンティークダイヤモンドに関しましては、ダイヤモンドが本格的に宝飾品として使われ始めるのは16世紀初頭ですが、1720年頃まではダイヤモンドはインドでしか産出されていませんでした。
16-18世紀前半、ヨーロッパの王族貴族はインドから輸入されたダイヤモンドを使っていました。
かつてヨーロッパの王族貴族は競って、インドからダイヤモンドの良石をとりよあせていました。
この傾向は18世紀後期にブラジルでダイヤモンドの鉱山が発見されるまで顕著で、16-18世紀前半、ヨーロッパはインドにダイヤモンド商人を派遣して、ダイヤモンドを輸入していました。
ダイヤモンドジュエリーのデザイン
フランスのジュエリー史の中でも最も古い部類の出版物に、ルイ14世とヴェルサイユの宮廷ジュエラーであったジル・レガレ(Gilles Legare )のジュエリーデザイン集があります。
1663年に出版されたこの「金銀細工品の書」は、当時のジュエリーデザインを集約したもので、当時フランスで流行し始めていたダイヤモンドの重要性についても言及されています。
ダイヤモンドが流行し始めるのは、15世紀のフランスからなのです。
当時の有名なダイヤモンド商人にジャン=バティスト・タベルニエ(1605〜89)というフランス人がいます。
ジャンバティストは、太陽王ルイ14世にこうして買い付けたダイヤモンドを売っていた宝石商です。
ジャンバチストは当時のインドの宝石事情に関する状況を詳細に記述し、現在においても貴重な文献になっています。
インド産ダイヤモンド→ブラジル産ダイヤモンド→南アフリカ産ダイヤモンド
しかしインドの鉱山は、1725年に新たな鉱山がブラジルで発見される頃には既に枯渇する寸前でした。
ブラジルの鉱山で発掘されたたダイヤモンドは今度は、ポルトガルやスペインを通じて、イギリスやフランスへ運ばれます。
つまりアンティークジュエリーの中で18世紀後期以前のものはブラジル産のダイヤモンドが主たるものになります。
そしてそのおよそ150年後、今度は南アフリカでダイヤモンドの鉱山が見つかりますが、その頃には、ブラジルのダイヤモンドの大半は尽きていました。
現在では、アフリカ諸国の数地域、ロシア、オーストラリア(主に工業用ダイヤモンド)、カナダが主なダイヤモンドの産地になっています。
ダイヤモンドは無色であるが故に、ルビーやサファイアのような色石とは異なり産地を確定することができませんが、そのアンティークジュエリーが製造された時代をきちんと把握することでそのアンティークダイヤモンドの産地を推測することが可能なのです。
ダイヤモンド取引の中心地
一方ダイヤモンドの産地とは別にダイヤモンドの取引の中心地があります。
ヴェネチア、ブルージュ、リスボン、アントワープ、これらの街は歴史的にダイヤモンドの取引とカットの中心地でありました。
ヴェネチアは13世紀、1460年代に中継地点はリスボンへと移動。
ベルギーの水の都ブルージュは、13世紀から14世紀末までヴェネチアからの原石が運ばれダイヤ モンド取引加工の一大中心地として繁栄しましたが、14世紀初頭にはアント ワープに取って代わられます。
全ての街に共通するのは、ダイヤモンドの取引に関してはユダヤ人の影響がとても強かったことです。
そしてそれは実は現在でも同じことが言えて、ダイヤモンド取引にはユダヤ系のファミリー企業が今も大きな力を持っていることが多いです。
というのもダイヤモンドはインドからエジプトへ、あるいはギリシャへローマへ常にパレスチナ(イスラ エル)を通って運ばれていたのです。
アンティークエピソード集のページでは、様々なアンティークに関するエピソードをご覧いただけます。
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シェルシュミディで取り扱うアンティークジュエリーは、全てオーナーが直接フランス、イギリスを主としたヨーロッパで買い付けてきたものです。