何と135センチ、超ロングの翡翠のネックレス
「翡翠(ひすい)」と言うとどちらかと言うとオリエンタル(東洋)のイメージが強いことでしょう。
それは間違いではなく、西欧において翡翠がジュエリーの表舞台に出てきたのはほぼアールデコ期に限られます。
1920-1930年代のフランスおよびイギリスのジュエリーで作られたアールデコのジュエリーで重用されました。
翡翠を数珠状につなげたネックレスは、1920-1930年代にカルティエを始めとするグランメゾンも得意としたスタイルのジュエリーですが、これだけ長いものは初めて目にします。
その長さ何と135センチ。
翡翠の色も良く、良い石が使われており、まさに1920年代のオリエンタリズム、アールデコの逸品です。
翡翠と翡翠の間の真珠のように見えるパーツは、全て吹きガラスです。
20世紀初頭にラリックをはじめとする作家が好んだ独特の製法で作られた吹きガラスもまさに20世紀初頭のジュエリーならではの醍醐味です。
使われた素材からだけでも、製作された年代を知ることができるネックレスです。
アンティークネックレスの醍醐味は留め具にあり
豊かな翡翠は圧巻そのものですが、留め具もこのゴージャスなネックエスに相応しい、手の込んだ作りです。
こうしたチェーン系、ロング系のアンティークネックレスでそのクオリティーを知るには、留め具を見るのが分かり易いです。
留め具部分はゴールドで、その小さな円柱の面積の中に透かしが施され、そして花の模様の彫金が所狭しと施されています。
透かしは金を糸鋸で削ることで製作したと思われますが、留め具全体の大きさですら縦9ミリ、横1.3センチですから、そのとても小さな面積の中でこのようにゴールドを削り出すのは至難の技です。
その削りだした縁にはミルグレインが打たれており、神業のようです。
留め具は今でもパチンと音を立てて綺麗にしまり、そして片側にはセキュリティーフック(この部分もオリジナル)がかかるようになっています。
このセキュリティーフックは片側にしかないので、もう片方は長い年月の間になくなってしまったのではと思うところですが、その根元を見ますとやはり元々片側にしかフックをかけられない構造であることが分かります。
1920年代のアールデコの特徴を伝える時代感、当時ならではの卓越した美的センスと宝飾技術の極み。
似たような作品を見つけるのが困難な逸品です。
1920年頃のイギリス製。
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翡翠(ひすい)は、深緑の半透明な宝石。
東洋は中南米で古くから人気があり金以上に珍重され、古くは玉(ぎょく)と呼ばれていました。
翡翠は、不老不死および生命の再生をもたらす力を持つと信じられており、古代においては遺体全体を玉で覆うことが行われました。
かの秦の始皇帝の遺体も玉で覆われていたとされています。
鉱物学的には「翡翠」は化学組成の違いから「硬玉(ヒスイ輝石)」と「軟玉(ネフライト)」に分類されます。
中国で現在安く売られている翡翠はほとんどが軟玉ですが、軟玉は中国以外では宝石とされず、西洋のアンティークジュエリーに使われているのも硬玉です。
翡翠は「深緑の宝石」という印象が強いですが、実は翡翠には半透明、白、桃、薄紫、赤橙等々、様々な色があります。
翡翠が様々な色を持つのは石に含まれる不純物や他の輝石の色のためです。
翡翠の緑色には2つの系統あり、鮮やかな緑のものはクロムが原因で、もう一つの落ち着いた緑は二価鉄によるものです。
緑の次に人気の高い「ラベンダー翡翠」は、チタンが原因でやや青みがかっています。
またミャンマー産のものは鉄が原因であり紅紫色が強いと言われています。
ヒスイはアンティークジュエリーでは20世紀初頭、特にアールデコ期に非常に愛された宝石です。
下記は1920年頃のイギリス製。
翡翠の色もよくまさに1920年代のオリエンタリズム、アールデコの逸品です。
少しオリエンタル(東洋)を感じさせる翡翠。
特にカルティエはこの時代、ヒスイを大胆に取り入れたオリエンタリズムを西洋的に昇華させたそれは美しいジュエリーの数々を生み出したことで知られています。
下記は1933年製作のカルティエの翡翠とルビー、ダイヤモンドのネックレス。
数年前にササビーズに出展されています。
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