定番モノこそ良いものを選びたいアンティークピアス
1900年頃のフランス製。
ダイヤモンドとホワイトゴールドxイエローゴールドで作られた、フランスのアンティークジュエリーの中でも最も人気のあるアイテムです。
定番的なジュエリーですが、もちろんアンティークジュエリーですので二つとして同じものがありません。
巧く選べば一生使えるものなだけに、良いものを選ぶことに尽きます。
こちらのピアスはとても仕立てが良いです。
正確な石留めやWGとYGの切り替え。
メインのダイヤモンドは揺れるようになっていながらも、台座の後ろのワリカンで揺れすぎないようにもなっています。
細部まで気の利いた作りや細工だけでなく、状態も完璧です。
小ぶりのピアスに大粒のダイヤモンド
「宝石の大きさ=必ずしもアンティークジュエリーも魅力」ではありません。
しかしながらこうした定番モノのジュエリーの場合、特に大きな宝石がそれに応じたクラス感を放つのも事実です。
小ぶりでさり気ないピアスであるにもかかわらず、メインのダイヤモンドは意外に粒が大きく直径3.5ミリあります。
内包物がなく色もほぼ無色透明、クリアで美しいオールドヨーロピアンカットのダイヤモンドです。
メインのオールドヨーロピアンカットはWGで緻密に爪留めされており、横から見たときはキューレットまで見ることができる嬉しい構造になっています。
上部の留め具へとつながる部分にも小さなダイヤモンドがセットされています。
こちらはローズカットにされていて、メインダイヤモンドとは対照的にWGの台座に深く埋め込まれています。
どちらもダイヤモンドが美しいだけでなく、長い年月を経ているのにカット面にダレなどもなくコンディションも素晴らしいダイヤモンドです。
どこにも身に着けていくことができ、また大人の女性にふさわしいそれなりのダイヤモンドの存在感。
こうした定番モノのダイヤモンドピアスこそ、良いものを選ぶと一生使えるので得です。
地金は18金ゴールド。
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古いダイヤモンドは輝かないのか?
「古いダイヤモンド=輝かなくて当然」と思われている方が多いです。
しかしこれは「あまり品質のよくないアンティークダイヤモンドを売るためのキャッチコピー」なのではと思ってしまいます。
確かにもし同じ品質のダイヤモンドがあったと仮定して、それを昔のカットと現在のブリリアンカットにすれば、前者のほうが圧倒的に鈍い輝きになります。
しかしだからといって良質な昔のダイヤモンドが輝かない、煌かないわけではありません。
確かに19世紀後期に新大陸でダイヤモンドが見つかる前のアンティークダイヤモンドには、黒い点のような内包物があることは多いですが、内包物と輝きや透明度はまた別の問題です。
良質なアンティークダイヤモンドはクローズドセッティングやローズカット、銀のセットなどにされていても、相応の深い輝きがあるものです。
現地のプロのディーラーも、アンティークダイヤモンドに関して輝きがあるかどうかは必ずチェックする項目です。
それは単にキラキラしているというのではなく、深い輝きがあるかどうか。
アンティークのダイヤモンドも良いものは透明度があり、そして深く輝くものなのです。
下記は当店扱いの19世紀中ごろの大粒のローズカットダイヤモンドリング。
これだけ古い時代のローズカットでも、素晴らしい煌きが見られます。
アンティークダイヤモンドの産地
アンティークジュエリーに使われているダイヤモンドの産地は、どこだかご存知でしょうか?
よくイギリスエドワーディアンのジュエリーやアールデコ期のジュエリーなどの説明書きに「新大陸でダイヤモンド鉱山が発見されてから、それ以前のように黒い内包物を含まない光り輝くダイヤモンドが用いられるようになった・・・・」といったことが書かれているのをご覧になられた方は多いでしょう、
「新大陸」とは「南アフリカ」のことになります。
ダイヤモンドの産地というと現在では、南アフリカをイメージされる方が多いかもしれませんが、南アフリカの鉱山が発見されるのは1860年代になってからです。
19世紀後期になるとこの新鉱山の発見を受けて、ダイヤモンドの流通量はそれ以前に比べて格段に増えます。
それを反映して1880年頃からのアンティークジュエリーには、ダイヤモンドを使用したジュエリーが増えます。
下記は当店扱いのアールデコ期のダイヤモンドペンダントネックレス。
この頃のアンティークダイヤモンドには、19世紀の中期以前とは明らかに異なる光輝くそれは美しいダイヤモンドが用いられています。
それ以前のアンティークダイヤモンドに関しましては、ダイヤモンドが本格的に宝飾品として使われ始めるのは16世紀初頭ですが、1720年頃まではダイヤモンドはインドでしか産出されていませんでした。
16-18世紀前半、ヨーロッパの王族貴族はインドから輸入されたダイヤモンドを使っていました。
かつてヨーロッパの王族貴族は競って、インドからダイヤモンドの良石をとりよあせていました。
この傾向は18世紀後期にブラジルでダイヤモンドの鉱山が発見されるまで顕著で、16-18世紀前半、ヨーロッパはインドにダイヤモンド商人を派遣して、ダイヤモンドを輸入していました。
ダイヤモンドジュエリーのデザイン
フランスのジュエリー史の中でも最も古い部類の出版物に、ルイ14世とヴェルサイユの宮廷ジュエラーであったジル・レガレ(Gilles Legare )のジュエリーデザイン集があります。
1663年に出版されたこの「金銀細工品の書」は、当時のジュエリーデザインを集約したもので、当時フランスで流行し始めていたダイヤモンドの重要性についても言及されています。
ダイヤモンドが流行し始めるのは、15世紀のフランスからなのです。
当時の有名なダイヤモンド商人にジャン=バティスト・タベルニエ(1605〜89)というフランス人がいます。
ジャンバティストは、太陽王ルイ14世にこうして買い付けたダイヤモンドを売っていた宝石商です。
ジャンバチストは当時のインドの宝石事情に関する状況を詳細に記述し、現在においても貴重な文献になっています。
インド産ダイヤモンド→ブラジル産ダイヤモンド→南アフリカ産ダイヤモンド
しかしインドの鉱山は、1725年に新たな鉱山がブラジルで発見される頃には既に枯渇する寸前でした。
ブラジルの鉱山で発掘されたたダイヤモンドは今度は、ポルトガルやスペインを通じて、イギリスやフランスへ運ばれます。
つまりアンティークジュエリーの中で18世紀後期以前のものはブラジル産のダイヤモンドが主たるものになります。
そしてそのおよそ150年後、今度は南アフリカでダイヤモンドの鉱山が見つかりますが、その頃には、ブラジルのダイヤモンドの大半は尽きていました。
現在では、アフリカ諸国の数地域、ロシア、オーストラリア(主に工業用ダイヤモンド)、カナダが主なダイヤモンドの産地になっています。
ダイヤモンドは無色であるが故に、ルビーやサファイアのような色石とは異なり産地を確定することができませんが、そのアンティークジュエリーが製造された時代をきちんと把握することでそのアンティークダイヤモンドの産地を推測することが可能なのです。
ダイヤモンド取引の中心地
一方ダイヤモンドの産地とは別にダイヤモンドの取引の中心地があります。
ヴェネチア、ブルージュ、リスボン、アントワープ、これらの街は歴史的にダイヤモンドの取引とカットの中心地でありました。
ヴェネチアは13世紀、1460年代に中継地点はリスボンへと移動。
ベルギーの水の都ブルージュは、13世紀から14世紀末までヴェネチアからの原石が運ばれダイヤ モンド取引加工の一大中心地として繁栄しましたが、14世紀初頭にはアント ワープに取って代わられます。
全ての街に共通するのは、ダイヤモンドの取引に関してはユダヤ人の影響がとても強かったことです。
そしてそれは実は現在でも同じことが言えて、ダイヤモンド取引にはユダヤ系のファミリー企業が今も大きな力を持っていることが多いです。
というのもダイヤモンドはインドからエジプトへ、あるいはギリシャへローマへ常にパレスチナ(イスラ エル)を通って運ばれていたのです。
アンティークエピソード集のページでは、様々なアンティークに関するエピソードをご覧いただけます。
アンティークリング、アンティークネックレス、アンティークピアス、アンティークブレスレット等、希少なヨーロッパのアンティークジュエリーを随時100点以上揃えています。
シェルシュミディで取り扱うアンティークジュエリーは、全てオーナーが直接フランス、イギリスを主としたヨーロッパで買い付けてきたものです。