普通のピアスの倍、贅沢です
1910年頃のフランス製。
大きな真円の真珠とダイヤモンドのピアスの下に、ドロップラインで更にバロック真珠が付いた、普通のピアスの2倍贅沢なピアスです。
ドロップラインが動くことで下のバロック真珠も揺れ、縦長のシルエットが耳元にストンと流れて、着けたときに本当に美しいです。
21世紀初頭のウエストラインを絞らないストンとしたマニッシュなドレスとショートカットに合わせて作られた、現代見てもとてもカッコよいデザインが魅力的です。
真円とバロックの2つの異なる真珠
上の真円の真珠は直径4.5ミリととても大粒です。
かすかにブルーグレイ帯びた絶妙な色で、100年経ても一切退色していない、昔の天然真珠のお見本のような艶やかな真珠です。
厚みもたっぷりあり、横から見ると、ゴールドの台座の隙間からそのぷっくりとしたシルエット全体を見ることが出来ます。
バロック真珠は上の真珠に比べるとより真白に近く、バロック真珠なのでもっとマットな質感です。
2種類の異なる質感の真珠を合わせ、それがしっくり来ているのですから唸らされます。
留め具へとつながるところに、ホワイトゴールドでひし形の遊びを作っています。
一見小さなダイヤモンドがセットされているように見える、ホワイトゴールドの彫金です
全体は18Kゴールドで、留め具部分などもしっかり作りこまれていますので、非常に使いやすいです。
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1930年、著名なデザイナーであったポール・イリブ(Paul Iribe)はアールデコのジュエリーについて以下のように述べています。
「キュービズムとマシンデザインのために、花を犠牲にしている」。
アールデコ期にも以前として花や葉っぱなどの自然主義のモチーフのジュエリーも存続しつづけますが、「抽象的なジェオメトリックなデザインの台頭」なしにこの時代の動きは語れません。
下記は1927年、Lacloche Freres(当時美しいアールデコのジュエリーを多く生み出したスペインのメゾン) によるサイプレスの枝を描いたピンです。
同じく葉や枝をモチーフにしたジュエリーでも、19世紀のものとは一線を画したジュエリーであることが一目瞭然です。
アールデコを生み出した社会要因
ではなぜそのようなラディカルな変化がデザインの世界に起きたのでしょう?
パリで「アールデコ」という新しい芸術が発祥した理由は、まずなんと言っても第一次世界大戦によって古い価値観が崩れ、女性の社会進出をはじめとした社会革新が起きたことです。
社交界で豪華なジュエリーを付けるのは前世紀から変わりませんが、当時の富裕な女性たちは、デザインの面で大きく変化したジュエリーを好むようになります。
化粧をしたりタバコもすったモダンな富裕な女性たちのライフスタイルの変化が、ジュエリーのデザインにも変化をもたらします。
彼女たちの求めた洋服やジュエリーは、第一次大戦前までの貴族社会の中で続いてきたものとは全く違うクリエイションによってもたらされています。
ドレスデザイナーたちは第一次世界大戦後のこの時代によりシンプルなラインのドレスを作り始めました。
下記は当時活躍したファッションイラストレーターGeorges Lepapeのデッサンです。
当時の女性のイメージが掴めるでしょうか?
加えて時の経済・金融事情も新しい装飾芸術を後押しした要因のひとつでした。
1914年以前のフランスは安定した金利に支えられた安定経済だったのに対し、20年代は毎日のようにフランの価値が下がっていく激動の時代でした。
超インフレが起こり、毎日のように通貨の価値が落ちて生きます。
1919年時に5.45フランだったアメリカドルは、1926年7月にはなんと50フランに!
このような状況のもと、人々は自分の財産を換金性の高いものへ、つまり絵画・宝石・芸術品に投資していきます。
こうしてアールヌーヴォーが陰りを見せはじめた1900年ころから冷え込んでいた宝飾業界に再びお金が流れ、活気が戻り始めるのです。
アールデコジュエリーに関して更に詳しい情報は、アールデコジュエリー その特徴と魅力をご参考ください。
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