ほぼ間違いなくジュリアーノの作品です
宝石とエナメルを用いた多色で、ルネサンスを思わせる独特の曲がりくねったデザイン。
一目で認識できるような強い個性、そして選び抜かれた宝石と秀でた宝飾技術。
間違いなくジュリアーノと推定できるブローチです。
ジュリアーノでもお父さんのカルロ・ジュリアーノの時代ではなく、息子たちの時代1880年頃の作品です。
実際、このブローチを譲って下さったディーラーさん(イギリス人ディーラー)は、かつて何度もジュリアーノの作品を扱ってきていて一度は美術館にも売却しているのですが、その方も「間違いない、でも残念ながら刻印はない!」とおっしゃっています。
ジュリアーノの作品はブローチの場合は例外なく、留め具のヒンジ部分に刻印を押します。
ところがこのブローチ、この箇所が替えられた形跡があります。(芯棒の緩みなどが出やすい場所です)。
というわけで100%確信はありますが、アンティークマーケットでサインドピースはサインがあるかないかによって大きく価値が変わってくるのも事実です。
刻印が入っているとお値段は数倍になってしまいますので、幸運とも言えます。
ルネサンス調のエナメル細工
赤石はガーネットです。
一般的なガーネットの色より明度が高く、少しオレンジを帯びた艶やかな色からスピネルのようにも見えますが、ガーネットです。
ガーネットもスピネルもジュリアーノの作品で重用された宝石です。
多色な色遣いを得意としたジュリアーノらしさは、さらにエナメル部分によく特徴が出ています。
ホワイトエナメル、そして紺色のドット。
曲線を多用した流れるようなルネサンス風のラインに沿って、エナメルを施すのは高い技術を要します。
中心部分に3石のダイヤモンド、こちらは流れるようなブローチ全体のデザインとは対照的に直線的でクラシックな格調高い雰囲気が出ています。
ブローチ自体は小ぶりですが手にすると程よく重量感があり、横から見ますとゴールドにかなり厚みがあることも分かります。
このような独特の地厚のゴールドを用いて、美しいオープンセッティングを成形しているところもジュリアーノの作品の特徴が出ています。
1880年頃のイギリス製。
15カラットゴールド。
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ジュリアーノの生い立ち
ジュリアーノは19世紀に活躍したアンティークジュエリーの歴史の中でもっとも有名なジュエラーの一人です。
カルロ・ジュリアーノ(Carlo Giuliano 1831-1895)はイタリア南部の、ナポリ生まれ。
イタリア出身の天才宝飾家カステラーニ(Castellani1793-1865)の工房で修行をし、1860年頃に一家はロンドンへ移住しフリス・ストリートに工房を開きます。
この時代はまだ自ら自身のジュエリーを販売をせず、Harry Emanuel、Hunt & Roskell(ハント・アンド・ロスケル)、C.F. Hancock(C. F.ハンコック)、Robert Phillips(ロバート・フィリップス)などの名だたるジュエリー店のためにジュエリーを製作していました。
この時代のジュリアーノのジュエリーはジュリアーノの刻印とジュエリー店の両方の刻印の入っていることがあります。
下記はカルロ・ジュリアーノの初期の頃の作品で、1869年にロバートフィリップスのために製作したペンダントです。
宝石をカボションカットすることも好んだジュリアーノ、ルビーをカボションカットしています。
1874年にロンドン、ピカデリー地区に自身の店を出します。
顧客にはエドワード7世、プロイセン王女ヴィクトリア等がいました。
ジュリアーノのカステラーニ
カステラーニは19世紀にヨーロッパで古代文明の発掘が盛んになったときに、古代のジュエリーの復元を試みます。
特に古代エトルリア時代の金細工(特に粒金細工)の復元に魂を注ぎました。
下記はヴィクトリアアルバート美術館所属、カステラーニ1860年頃製作の王冠です。
(c) Victoria & Albert Museum, London
ジュリアーノも特にその初期の頃の作品は、古典的なカステラーニの作品に近い作風のジュエリーを製作しています。
下記はカルロジュリアーノが1865-1870年頃に製作したイヤリング、ヴィクトリアルバート美術館所蔵。
見事なグラニュレーションはエトルリアの金細工を模しています。
(c) Victoria & Albert Museum, London
ジュリアーノスタイル
やがてジュリアーノは古代様式だけでなくルネサンスにインスピレーションの源泉を求めるようになり、エジプト文明にも影響を受けました。
宝石やエナメルを用いたより多色のジュエリーで、ジュリアーノ特有のスタイルを確立します。
下記は1867年のパリ万博に出品されたカルロジュリアーノ製作のペンダント。
やはりヴィクトリア・アルバート美術館所蔵です。
(c) Victoria & Albert Museum, London
下記は1870年頃に製作された真珠とガーネット、エナメルのネックレスです。
数年前にクリステイーズに出展されています。
ジュリアーノは高価な貴石より、ガーネットなどの宝石を珍しい方法で用いることを好みました。
このネックレスにも今回ご紹介するブレスレットにも見られるカボションカットのガーネットはジュリアーノが好んだ宝石の一つです。
ジュリアーノ一族は、「宝石の詩」を好み研究したと言われています。
宝石を用いて、例えば聖書やシェイクスピアの文献に出てくる宝石を用いてブレスレットを製作したりしました。
ジュリアーノの刻印
カルロ・ジュリアーノの刻印は「CG」で、初期の頃のカルロジュリアーノの刻印はこの二つの文字をモノグラムにしたものです。
これはカステラーニの工房の刻印の様式に従っています。
カステラーニのロンドンの代理人といった役割も果たしていたからです。
二人の息子の代になると「C&AG」になります。
カルロジュリアーノの死後は彼の二人の息子であるカルロ・ジョセフ・ジュリアーノ(Carlo Joseph Giuliano 1855-生没年不詳)&アーサーアルフォンス・ジュリアーノ(Arthur Alphonse 1855-1914)が跡を継ぎます。
こちらは二人の息子の時代に製作されたぺリドットのペンダントです。
c.1900. Photo Courtesy of Wartski.
父親の独創的な才能を引き継いだのはアーサーの方だけでしばらくは二人で事業を続けますが、アーサーが1914年に自殺をしジュリアーノ一族の歴史は幕を閉じます。
サインドピースのアンティークジュエリー
アンティークジュエリーがお好きな方でしたら絶対にカステラーニやジュリアーノのことはご存知であろうと思っていたのですが、近年はあまりに日本に入ってこないためご存知ない方も多いようです。
手元に2004年に発行された別冊「太陽」の「永遠のアンティークジュエリー」という本がございます。
ここでは日本のいくつかの美術館やいくつかの店舗が持ってらっしゃったジュリアーノのジュエリーが紹介されています。
日本にまだ勢いがあったころですし、かつてはまだアンティークジュエリーも豊富にありましたからこうした良質なジュエリーが日本に持ち込まれていたのです。
近年ではジュリアーノのサインドピースは海外のマーケットでも、ササビーズやクリスティーズなどの一流オークションでしか見ることがなくなってきています。
例えば下記は1895年頃に製作されたこちらのブレスレットとほぼ同年代のC. and A. Giuliano(C&AG)のネックレスですが、 数年前のオークションの開始価格が既に131,140米ドル(当時のレートは分かりませんが2015年レートの換算で日本円にして約1570万円です。
開始価格ですので最終的な落札価格はずっと高騰したでしょうし(加えて20%ほどの手数料もかかります)、そもそも10年ほど前のオークションですので現在行えば更に高価になるのは間違いありません。
余談ですがこのようなレベルの作家もののアンティークジュエリーになりますと、作家ものでない同時代の作品より(仮に同レベルの作品があったとしても)ずっと高価に取引されます。
しかしながらよくサインがなくても、「○○の作品」として紹介されて売られているものもあります。
確かに有名なジュエラーでも、様々な理由でサインを入れなかった、あるいは長い年月の間の例えば修理などがあり刻印箇所が消えてしまっているケースはかなりあります。
ただ覚えていておいて頂きたいのはそのサインのないジュエリーが、本当にその作家が製作したものだったとしても、国際的なマーケットではサイン(刻印、コピーライト)の入っているものとサインの入っていないものの取引価格には大きな差が出ます。
また偽のサインが付けられたフェイクのジュエリーもありえます。
サイン部分は専門家が確認したほうが良いです。
ちなみにこのジュリアーノのサインはゴールドを掘り出すことで、簡単に偽造ができないようになっています。
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