まさにミュージアムピース、豪華なエナメルとダイヤのバングル
王政復古の1820-30年頃のフランス製。
ぎっしりとダイヤモンドが埋めこまれた、絢爛豪華なエナメルのバングルです。
中央には7つのオールドヨーロピアンカットのダイヤモンドでお花を表現。
その左右両側には8つずつのボリュームあるローズカットダイヤモンドが配されています。
地金はゴールド(18K)で、26グラムとずっしりとした重みがあります。
エナメルの水色はとてもフランスらしい鮮やかな色です。
この時代の最高の金細工
留め具のところはボタンを押して引くことで、何段階にも長さが調節できようになっています(最大で内寸18.5センチ、最小で内寸16センチ)。
ゴールドを使ったこの高度な仕組みが、200年近く経た今でも完璧なままなのです。
エナメルを塗ってあるところ以外のは、ぎっしりとエングレービングが施されています。
お花をモチーフにしたこのエングレーヴィングは、センス、技術とも
ずば抜けています。
このバングルブレスは、サインドピースでもおかしくない、当時の一級品です。
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アンティークジュエリーでよく聞く言葉に「ジョージアンのジュエリー、ジョージ王朝時代のジュエリー」があります。
イギリスとフランスはこの時代、政治体制も装飾様式も異なる発展を見せますので、フランスのアンティークジュエリーを語るときに「ジョージアン」という言葉を使うのは適切ではありません。
しかしながらイギリスのアンティークジュエリーを基礎に話されることが多い日本のアンティークジュエリー界ではどうしても「ジョージアン、ヴィクトリアン、エドワーディアン」という時代認識を基に考えられる方が多いようです。
無理やりあてはめるのであれば、フランスの1820-1830年代に作られたジュエリーは、レイト・ジョージアン(ジョージ王朝時代後期)になります。
下記は当店扱いの同時代のイギリスの指輪。
似ているようで同時代のフランスのジュエリーに比べて少し大きめです。
ネックレスなどではもっと顕著です。
フランスではこの時代のジュエリーは「Restauratino(王政復古時代)のジュエリー」と呼びます。
1792年のフランス革命後のフランスは王族を死守しようとする保守派と革命派、帝政派、交互に異なる体制が生まれては倒された、激動の時代に入ります。
革命は世界史にとっては大事ですが、ジュエリーにとっては良いことはありません。
王族・貴族文化の方が良いジュエリーが作られます。
ですからフランスのジュエリー史で、18世紀以降に良いものが作られた時代は「王政復古の時代(1814-1830年まで)」になります。
1814年にナポレオンがナポレオン戦争に敗れて退位し、フランス革命時にドイツに亡命していたルイ16世の弟、ルイ18世(1814年-1815年と、1815年から1824年在位)が即位してブルボン朝が復活した時代です。
ルイ18世は16世時代に追放された貴族の復帰を助け、18世紀の王政文化が息を吹き返して、優雅な宮廷文化の時代が再び復活します。
そしてルイ18世は1824年に死去し弟のアルトワ伯爵が継ぎ、シャルル10世(在位は1824-1830年)となります。
王政復古の時代は、1814-1830年頃までの非常に短い期間ですが、18世紀の宮廷文化を回想した素晴らしいゴールドジュエリーが作られました。
さて王政復古の時代のジュエリーの特徴を見ていきましょう。
まずこの時代を語る上で「秀逸な金細工」は欠かせません。
この時代のゴールドの処理は、ゴールドを箔のように薄く延ばして磨いたフォルムを取ることが多いです。
カンティーユ(cannetille)やグラニュレーション(グラニュル、grainti、granulation 粒金細工)、またレポゼと呼ばれる打ち出し装飾も発達しました。
スパイラル(螺旋状)になった部分が金細工、粒の部分がグラニュレーションです。
このように金細工技術が発達した背景には、当時まだゴールドが大変希少であったために少ない量のゴールドでボリュームがあるように見えるジュエリーを作りたいという事情がありました。
この様な金細工は現代では再現が難しい、大変高度な技術と表現力を要します。
この時代のゴールドのジュエリーは、例えばその少し前の1800年頃に作られたネオクラシックスタイルのジュエリーより大きく重そうに見えますが、実際は異なります。
手にすると軽く、少量のゴールドでボリュームがあるように見せているのです。
宝石はカラフルで華やかな宝石が用いられるようになります。
前世紀に比べてこの時代にアメジスト、ガーネット、ぺリドット、クリソプレーズ、トパーズ、トルコ石などの宝石の流通量が急激に増えたためです。
シトリンもこの時代に好まれた宝石です。
下記は当店扱いのこの時代に製作されたアメジスト、トパーズ、ガーネット等、複数の色石が複数用いられた指輪です。
宝石の組み合わせは、様々な色を一見ランダムに見えるようにセットされている場合と、同色の宝石を連ねている場合があります。
下記も当店で販売済みのトルコ石のリング。
セッティングは特に指輪の場合はほとんどのケースでイエローゴールドが用いられています。
宝石のセッティングにも特徴があります。
この時代の宝石は厚みのわりに面積が大きいこと、薄く面積を広く採ってある宝石をセッティングしてあるのをよく見かけます。
ネックレスは胸が広く開いたドレスが流行し、ウエストをウエストバンドで閉めるファッションになり、ボリュームのあるネックレスが好まれます。
ロングチェーンネックレスがもてはやされます。
下記は同時代の当店で販売済みのゴールドチェーンのネックレス。
荘厳な細工で重そうに見えますが、中が空洞になっていますので、手にすると意外なほど軽いです。
また下記のようなアメジストあるいはガーネットを全周に連ねたネックレスがこの時代に作られました。
この手の同じ宝石を全周にあしらったネックレスは、ゴールドでセッティングされたものの他、ヴェルメイユ(銀の上に金で上塗り)、あるいは銀製で裏面をゴールドで塗ったものが存在します。
また袖の膨らんだドレスのために、ブレスレットは大ぶりのものが好まれました。
下記は当店で販売済みの同時代のブレスレット。
大ぶりですが、見た目よりは軽量です。
こうした大ぶりのブレスレットを手首から時には肘までいくつも、腕のラインが隠れるほどブレスレットを重ねて着けることが流行します。
これは指輪も同じで一つの指に、いくつもの指輪を身に着けることが流行するのです。
1820-1830年代のファッションは胸を広く開けたドレスに髪を結い上げたスタイルが主流でしたので、ピアスは長めのドロップ型のものが好まれました。
そしてピアス穴を開けるというデリケートな作業は、当時ジュエラーが行っていたそうです。
ところでこの「王政復古時代のジュエリー」時々「シャルル10世の時代」と言われることもあり、分かりにくいと思います。
王政復古の時代は正確に言いますと、1814-1830年になります。
シャルル10世はルイ16世の弟で、ナポレオン帝政終焉後の、王政復古の時代にわずか数年即位についた最後のブルボン家直径の王です。
ルイ16世治世下、マリーアントワネットの寵臣であったシャルル10世は、フランス革命(1789年)下はイギリスに亡命。
反革命派とともに各地を転戦し、1814年にナポレオンが失脚し再び王政に戻ったフランスへ帰国。
1824年に兄ルイ18世の死国後、王として即位します。
在位は1824-30年と非常に短命で政治的には芳しい功績はありませんでしたが、この数年間は、ジュエリーにおいては18世紀の王族文化への一時的な回帰により、指輪やブレスの座金の組み方などが独特なスタイルが生まれました。
シャルル10世の治世はわずか数年ですが、その前後の王政復古の10数年に作られたジュエリーを「王政復古時代のジュエリー」と呼ぶのが通例です。
ただシェルシュミディのお付き合いしているフランス人ディーラーの中にひとり「王政復古のジュエリー」を専門にしているディーラーさんがいるのですが、彼女などは「王政復古のジュエリー」と呼ぶべきもの、「シャルル10世ジュエリー」と呼ぶべきものに分けています。
下記は典型的なシャルル10世時代のペンダント、当店にて販売済み。
しかしそれは専門中の専門で、フランス現地のディーラーでもよほどその時代に特化した人でない限りは、この数十年のジュエリーを総称して「王政復古の時代のジュエリー」と呼びます。
短命で数が少ない時代のジュエリーですので、この時代のジュエリーの特徴がよく出たものは現地でも非常に高い価値が認められています。
アンティークエピソード集のページでは、様々なアンティークに関するエピソードをご覧いただけます。
アンティークリング、アンティークネックレス、アンティークピアス、アンティークブレスレット等、希少なヨーロッパのアンティークジュエリーを随時100点以上揃えています。
シェルシュミディで取り扱うアンティークジュエリーは、全てオーナーが直接フランス、イギリスを主としたヨーロッパで買い付けてきたものです。