フェイクの素材で一流の宝飾技術が、シャネルの信条
1980年代のシャネルのヴィンテージ。
厚さ1センチのとても使いやすいバングルです。
素材はゴールドメタル。
表面のゴールドメタルの細工は古代の金細工きからインスピレーションを受け、アンティークジュエリーで行っている金細工と同じ技法を使用しています。
また裏面にも気が遠くなるような、細かな艶消し加工を施しています。
もともとこのよう形に機械で成型したのではなく、表裏の金細工加工を終えてから、つなぎ目をロウ付けするという、手間のかかる製造過程を踏んでいるようです。
あえて本物ではない素材で、アンティークジュエリーに使うような高度な宝飾技術を使っているのが、シャネルのコスチュームジュエリーの真髄です。
いろいろな洋服に合わせやすく、重ねづけもOK
そんな凝った細工とは一変して、デザインはいたってシンプルで、何にでもあうスタンダードなデザインです。
ゴールド色一色で何にでもあわせやすく、厚さも1センチと厚すぎないので重ねづけにも向き重宝すると思います。
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1960-1970年代のフランスは、クチュリエブランドの手掛けたジュエリーの黄金の期です。
その代表格がシャネル、クリスチャンディオール、イヴサンローラン、ランバン、ギ・ラロッシュ等。
これらのクチュリエブランドはコスチュームジュエリーも多く手がけましたが、ゴールドやプラチナをベースにファインジュエリーも芸術性の高い作品を残しています。
イヴ・サンローラン
20世紀のファッション業界をリードしたイヴサンローラン。
1936年、旧フランス植民地アルジェリアに生まれます。
家族とともに、幼少時期にパリに戻り、ファッションデザイン学校Chambre Syndicale de la Haute Coutureに入学します。
イヴサンローランの略歴を語るのに欠かせないのは、もちろんクリスチャンディオール。
クリスチャンディオールが1905年生まれで、イヴサンローランが1936年年生まれ。
実に30歳以上の年が離れていた二人だが、若き日のサンローランを見出したのは、クリスチャンディオールでいた。
イブサンローランは、17歳でデザイナーデビューし、2年後にはクリスチャン・ディオールがサンローランを、ディオールのメゾンに招き入れます。
この時サンローランはまだ10代とても若かったため、周囲はサンローランの起用に反対したと言います。
しかしディオールこそは「自身のメゾンを発展させてくれるのはサンローランである」と信じて疑わなかったそうです。
サンローランがディオールで発表したコレクションは大成功を収めます。
しかし1960年、サンローランはアルジェリア独立戦争下、フランス軍に徴兵され、そのストレスにより神経衰弱に陥り、精神病院に収容されます。
1962年、病気の完治とともに、芸術後援者であるピエール・ベルジェの出資により自身のレーベル、「イブ・サンローラン(YSL)」を設立。
2002年の引退まで約40年にわたり、トップデザイナーとして活躍。
モードの帝王」と呼ばれます。
オートクチュールの世界でよく言われるのが、「シャネルは女性に自由を与えた、サンローランは女性に力を与えた」という言葉です。
実際サンローランより一つ前の世代に生きたシャネルはサンローランを自らの後継者と公式に発言していました。
これはどういうことかというと、二人とも男性服を女性服に転換することで、女性に力を与えた、ということで共通するものがあるのです。
サンローランのオートクチュール界の功績は大きく、サンローランが2002年に引退したとき、オートクチュールの幕が閉じたと言われているほどです。
ココ・シャネル
ココシャネル(Coco Chanel)の本名はガブリエル・シャネル。
1883年二フランスノオーベルニュ地方に生まれます。
貧しい生まれで孤児院や修道院で育ちます。
シャネルは現在でいうところの女性ベンチャー起業家。
20代でパリにお店を持ちます。
最初は帽子店でしたが、瞬く間に婦人服、ジュエリーを手がけるようになり、一躍モード界の頂点に上り詰めます。
常に時代の先端を読み、30代にはパリ以外のリゾート地へ進出して、ベンチャー企業家として数百人の従業員を抱え、モード界につぎつぎと新風を巻き起こします。
第二次世界大戦中はパリを離れて、1944年になんと70歳でカムバックを果たします。
最期のとき(1971年に88歳で死去)まで前線で働きつづけた稀代のデザイナーです。
下記は当店で販売済みのシャネルの60年代のブレスレット。
こちらは本物の宝石や貴金属を用いていない、コスチュームジュエリーです。
シャネルのコスチュームを技術的な点からを語る上で欠かせないのはフランスの宝飾工房メゾン・グリポワ(Maison Gripoix)です。
1920年代からシャネル、ディオール、イブサンローランなど名だたるデザイナーのためにオートクチュールジュエリーを製作してきました。
シャネルはいくつかのアトリエとコラボをしてきましたが
その中でもっとも有名なのがこの「メゾン・グリポワ」。
先にメタル枠を造り、その中に色ガラス棒を溶かしながら枠に落とし込み、表面張力で枠に張り付かせるという独特な技法を得意としていた工房です。
枠に後から石を装着しているワケではないので隙間が無く、枠にぴったり張り付くのが特徴です。
枠からこぼれ落ちんばかりに、ギリギリまで盛られたガラスは、厚みも様々でどれ一つ同じ物はありません。
下記は当店で販売済みのグリポワのブローチ。
ジャンパトゥ(jean patou)
ジャンパトゥ(jean patou)は1920-30年代に活躍したジャズ・エイジを代表する、フランスの有力なクチェリエです。
1888年、フランス、ノルマンディー地方で、皮革商の息子として生まれます。
1910年にパリに上京、毛皮とドレスからそのキャリアをスタートさせます。
第一次世界大戦後の1919年にパリのサンフロランタン街の由緒ある館のサロンを借り、1920年に「ジャン・パトゥ」の名で店をオープンします。
1929年に、ヘム・ラインを一挙に床上20cmまで落とし、ウェストを復活させ、230年代のモードの先鞭をつけ話題を呼びます。
デザインは、シンプルさとエレガンスが特徴で、当時の装飾芸術様式、アール・デコにきわめて調和するものでした。
1920-1930年代のファッション界をリードしたジャンパトゥでしたが、1936年なんと49歳の若さで死去します。
ランバン(Lanvin)
ランバンは、1889年にジャンヌ・ランバン(Jeanne LANVIN)によって、フォーブル・サントノーレ22番地に創立されたブランドです。
ジャンヌ・ランバンは、1867年、パリ生まれ。
帽子店としてスタートしますが、1897年にはドレスを手がけるようになります。
「ランバンのパレット」と称される独特の色使いで定評のあるLANVINですが、その秘訣は1923年に創立したナンテールに染色工場にあります。
またヴェイヤールなどの画家との交流で洗練された色彩感覚を養ったともいわれています。
、
アンジェリコの壁画に由来する「ランバン・ブルー」やアーモンドグリーンなど微妙な色使いを特徴としています。
1920年代には、ランバンはよりシンプルで活動的な女性のめたのスタイル、ギャルソンヌ・ルックを取り入れ、シャネルなどとともに活躍します。
またジャンヌランバンは、女性としてはじめてレジヨン・ドヌール勲章を受勲をしたことでも知られています。
クリスチャンディオール(Christian Dior)
世界屈指の一流メゾンChristian Diorの創始者であるクリスチャンディオールは、1905年生まれ。
フランスのノルマンディ地方グランビルで裕福な実業家の家に生まれます。
父親の薦めもあり当初は外交官を志して、フランスの超エリート校であるパリ政治学院に入学します。
しかし在学中に当時、台頭していたシュールレアリスムに魅せられ、友人と画廊を開設。
ダリやコクトーなど多くの芸術家と親交を深めます。
しかしその画廊は1930年代の恐慌に見舞われ失職してしまいます
その後、帽子のデザインスケッチが好評を博したのを機に服飾デザイナーに転向。
1938年にロベール・ピケのメゾンに入り指導を受け、41年にはリュシアン・ルロンの店に入ります。
ディオールは1957年 わずか53歳の若さで心臓発作により死去。
後継者には彼の右腕として活躍していた若干21歳のイヴ・サンローランが継承したというのは、有名な話ですね。
40過ぎでようやく成功を収めたクリスチャンディオール。
デザイナーとしては遅咲きで、またディオールは大変早死にをしたため、その栄華のときはわずか11年でした。
1947年、クリスチャンディオールを一躍有名にしたのは、当時「ニュールック」と名づけられファッション業界に衝撃を与えた新しいタイプの洋服デザインです。
「丸みを持ったなだらかな肩と細く絞ったウエスト、ペチコートで張らせた床上20pのフルスカート」というファッションは、20世紀前半のファッションと一線を画したものでした。
このディオールのニュールックにより(「ニュールック」という名前は、当時のハーパースバザールの編集長が名づけたもの)、女性のファッションは短いスカート&ビッグショルダーから、やわらかく丸みを帯びた肩と優雅なロングスカートへと変貌を遂げるのです。
カルバン(Carven)
カルバンとは、1945年にマダム・カルバンが、パリのシャンゼリゼ通りに開いたメゾンがはじまりです。
シャネルに次いで2番目に古い歴史のあるオートクチュールメゾンになります。
白とグリーンのストライプを配したワンピース Ma Griffe(私の刻印)が当時のパリジェンヌにセンセーションを巻き起こしました。
その後、ショーを披露する度に注目を集め、フランスやイタリアのプリンセスのためにウェディングドレスを創るなど、世界各地の王室皇室がカルバンの顧客になります。
また映画「風と共に去りぬ」でスカーレットが着ていたドレスは、カルバンのものです。
デザインとしては「優雅さと清楚」をその原点としています。
マダムカルバン身長が155センチ小柄だったそうです。
当時では自分に似合う服がなかったことから、ファッションデザイナーを志し、自身のブランド「カルバン」を創設したという逸話があります。
小柄な女性に似合うブランドでもあります。
エルメス(Hermes)
言わずと知れたフランス、いや世界を代表する皮革製品ブランド。
その歴史は、1837年にティエリ・エルメスがパリに開いた馬具工房に遡ります。
当時からナポレオン3世やロシア皇帝などの、トップ権力者を顧客に持っていました。
より幅広い製品を手がけるようになったのは、ティエリの孫にあたる3代目エミール=モーリス・エルメスの時代。
1892年には、馬具製作の技術を基にエルメス最初のバッグ、サック・オータクロア(オータクロア)を製作。
1927年に腕時計、さらに服飾品・装身具・香水などの分野にその活動を広げます。
ギ・ラロッシュ(Guy Laroche)
1957年にオートクチュール部門が立ち上げられた、比較的後年のメゾンです。
ギ・ラロッシュは当時定着していた「ニュールック」からレディースウェアの固定観念を解き放ち、もっと気軽に着られる「洗練されたさりげない」エレガンスを提供することを理想にしていました。
そんな彼の型破りな考えと見事なディテールのデザインは、コートドレスやシャツドレスといったアイテムとなり、現代女性のワードローブに不可欠な存在となりました。
下記は初期の頃1960-1970年代のギラロッシュのピアス。
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